団塊の世代はもう50代である。
息子や娘はそろそろ20代だろう。
団塊の世代は、別名全共闘世代でもある。音楽的にはビートルズ世代。
彼等は、時代を作ってきたのは俺達だという変な自負もありそうだ。
で、そういう世代の息子や娘はどうなるのかをちょっと考えてみた。
近頃、歴史教科書問題などで、やたらアジアへの差別意識が目立つような気がする。
インターネットの掲示板へ行くと、「作る会」賛成派が何故かやたら多い。
中国も韓国も民族的に劣るくせに偉そうにいうな、という姿勢まで感じる。
言論は自由だし、教科書だって、己の良心に恥じなければ出すのは一向にかまわないのは自明である。
しかし、それを差別意識だけで肯定するようになったら、これはマズイと思う。
正直言って、「作る会」の反自虐史観意識は異常である。
肩に力は入っているわ、眼のはしっこが吊り上がっているわで、とても理知的な顔には見えない。
そんなトンデモ系の教科書を面白いなどと言って本屋に買いに走る若い連中は何だろうと思った。
そこで、思いついたのが、団塊の息子という仮説だ。
つまり、全共闘世代は、もちろん左翼(極左)思想に巻き込まれた世代である。
たいていの学生は「共産党宣言」ぐらいは読んでいた。マルクス・エンゲルスがどんな人物であったかぐらいは、当たり前のことのように知っている。
で、こういった父親は、こういった全共闘思想を何故か尻尾の名残りのように今も持っている。
「俺は昔、全共闘で・・・」などと口には出さないまでも、息子に対して威圧的な態度をとりかねない。
で、息子は思う。
何で、こんなオッサンの威圧的な言葉に屈服しないといけないのかと。
ところが、息子にはほとんど父親を論駁する理論がない。
まさかマルクスとかレーニンの本など、今さら古くさくて読む気にもならないだろう。
そこで、息子が依拠するのが、「作る会」の展開する、国家主義的な思想である。
少なくとも団塊世代のほとんどは、ナショナリズムを肯定しない。
「あー、インターナショナルー、われらがものー」と歌った仲間同士である。
父親に対抗するのには格好の武器が手に入る、そう団塊の息子たちは思ったはずである。
特に小林よしのりに至っては、漫画という、あまり深く物事を考えなくても理解できる形式で、その思想を語ってくれる。
ちょうど、父親が言いそうなことに反論してくれている。
その結果の「作る会、マンセー」なのでは。
そう考えないと私は理屈がつかない。
なにしろ、「作る会」の教科書なんて、たかが教科書にすぎないからだ。
教科書が何ぼのもんじゃい、私はそう思う。
そんなものを面白がる奴は、何かバイアスがかかっているとしか思えない。
池田大作氏の「人間革命」と同じだ。私にとって別にどうってことない話である。
「作る会」の狙いは、自分達の作った教科書が全国の学校に採用されて、にっくき左翼どもが書いた教科書を一網打尽にしてくれる、ということなのであろう。
そんな私怨に、教育を絡ませるな!と私は心から叫びたい。
しかもそこに、この団塊の息子どもが、父親憎しで絡んでくるのだ。
本当どうしようもないなあとため息が出る。
罪深きは団塊の世代ということなのかもしれない。でも、こういった自己批判なんて、全く団塊の世代からは聞こえて来ないのである。
俺達が、時代を作ってきたんだ。ビートルズだって、俺は生で見たんだ。俺達の世代は偉大なのだ!などと酔っぱらう連中を父に持つ息子たちなのだから、まあ、こんな御時世になっても仕方ないのかなあと諦めるしかないのかも。
遅れてきた世代、安部邦雄