エブリリトルシング(講談社文庫)に登場する野球部の監督の一言。「野球をやめるのは自由だ。だけど毎日をダラダラ過ごすんじゃないぞ。お前が無駄に過ごした今日は、昨日死んだ人が痛切に生きたいと願った明日なんだ」
この本、話題になっているらしいが、この一説は心にしみる。
私の友もそんな気持ちで、この世を去って行ったのだろうか。
川井拓也「USTREAM 世界を変えるネット中継」(ソフトバンク新書)
ユーストリーム10のポイント
1.視聴者の数は中継主催者のネットワークスケールに比例する
私の経験から言うとツイッターのアクティブ・ユーザーはフォローされている人数の1割。ユーストリームを見に来てくれるのはその又1割。
2.視聴者にとっては、映像より音声のクオリティが大切
視聴者は他の作業をしながらユーストリームを開いている。映像より音声の方が重要。そこがテレビと違う。(つまりUstはながらメディア)
3.予測不可能性というリアリティが視聴者をひきつける
予定調和の逆、「一体この後どうなるんだろう」という予測不可能性が大事。
4.誰が見ているかが話題になる新しいメディア
他に誰が見ているかがわかる。ツイッターで知り合いになることもできる。
5.番組ではなく、動画つきコミュニティと考えよう
音声と並んで重要なのが、ソーシャルストリーム。活発な意見がかわされるコミュニティに動画がついている。
6.ソーシャルストリーム活用が進行の鍵
リアルタイムのフィードバック機能。生の反応が返ってきてそれが番組を進行させる。
7.中継設定で一番大切なのはハッシュタグ
ユーザーは、ユーストリームのURLつきツイートのハッシュタグから内容を想像して飛んでくる。
8.リアルタイム投票機能を使いこなそう
早い話、アンケート機能。
9.タイトルは中継者から視聴者への思いやり
後から見に来た人に中継動画の内容がわかるようにタイトルを工夫。
10.伝えたいことがある人のためのメディア
ユーストリームの魅力は、見るより中継する方にある。
さて、今年から来年にかけてユーストリームはどう変貌するだろうか。
養老孟司さんが語る概念に「ああすれば、こうなる」というのがある。
肯定しているのではない。
人間の脳はそう思いすぎているというのである。
今読んでいる「まともな人」(中公文庫)にもこういう文章がある。
石油を消費すれば、炭酸ガスが出る。炭酸ガスが出れば、地球は温暖化する。どちらも「ああすれば、こうなる」である。
この原則が成立するのは、単純な系に対してだけである。
生物や環境のような複雑系に対しては、そんなものは例外的にしか成り立たない。
それでも脳化社会の住人は、「ああすれば、こうなる」がもっとも「理性的」だと信じて疑わない。
だから「温暖化する」すると脅すのであろう。
「ああすれば、こうなる」というのは、限定的にしか使えないと養老氏は繰り返し述べる。
そう考えたがっているのは脳である。
それの方が楽だからだ。
つまり、脳は自分が楽になることを考えていつも活動している。
にもかかわらず、脳は楽をすればするほど退化する。
何というパラドックスだろう。
もう一つ、「情報は不変だが、人間は変化する」というのもある。
根本的には人は変わる。変わった自分が何をどう考えるか、今の自分にはわからない。
つまり、俺は俺ではなくなるのに、「俺は俺だ」と思い、「ああすれば、こうなる」のだと、主張する。
意識は自分を情報だと規定し、変わらないと信じるのだ。
養老孟司先生の説、わかったようでよくわからないので、胸の中でもやもやしている。
私の限界と言うしかない。
東中野の松屋に行く。
こういう店は滅多に行かないが、牛めし250円セール中とかで話の種に寄ってみた。
牛めしだけでは申し訳ないので、ついでにキムチの食券も買う。
それでも330円。
奥の席に座り、さて食べようと思って一口二口食べていると、手から丼がすべり落ち、あろうことか上下さかさまになって、私の目の前のテーブルの上に落ちた。
具のほとんどは、そのまま足もとに落下し、私は茫然自失。
お店の人は、あわてて始末をしてくれたのだが、それを手伝いながら、どうしてこんなことにと自問自答。
丼が倒れぐらいならわかるのだが、180度回転する意味がわからない。
そんな回転を私は丼に対して与えたのだろうか。
「ごめんなさいね。」と店の人に謝っていると、店のチーフらしき方が、もう一杯作ってくれて、「はい、どうぞ」と言ってくれた。
「申し訳ないですね。」と言いながら、その善意を受け取る私。
でも、もはや味も何もわからない。
横で、相変わらずお店の女の子が始末をしてくれている。
手伝いたい気持ちもあるのだが、客がそれをやるのもかえって迷惑と思い、ひたすら牛めしをいただいた。
やっぱり、年なのか。
握力が落ちたのか、時々力が抜けるのか。
昨年、手を骨折した時も、はっと気づいたら階段から落ち、気づいたら血だらけになっていた。
自分に自信をなくす。
ただ情けない。
郷原信郎「検察の正義」(ちくま新書 2009)
小沢一郎氏の「政治とカネ」問題で、ユニークな視点から持論を展開している郷原氏。
検察の正義の中の次の論点は、確かにそうだったという意味で納得できる。
裁判員制度、取調べ可視化など、日本の司法はこれから時代にあった変化が望まれているのがよくわかる。
自分のためにも、残しておきたい。
《日本の刑事司法の特徴》
1.刑事司法が対象にしてきたのは、倫理的・道徳的に許されない行為であり、行為に対する否定的評価が明白な行為。
そのような否定的評価の対象となる犯罪事実を、証拠によって認定し、その行為の悪性に応じた処罰を行う、というのが刑事司法の役割であって、その行為についての社会的価値判断は不要。
2.対象とする事実は、過去の犯罪行為であって、進行中の社会生活や経済活動そのものではない。過去に発生した行為に対して刑事処罰を行うことで、その問題に「後始末」をつけ、その行為が社会に与える影響を最小化することが目的。
3.対象とする人間は、そのような反社会性が明白な行為を行った「犯罪者」であり、多くの場合は社会からの逸脱者。
一般的な社会生活や経済活動を営んでいる一般の市民や経済人とは異質な存在。
そのような「犯罪者」は社会から排除されても、社会そのものに与える影響はほとんどない。
このような日本的刑事司法の中核となってきたのが「検察の正義」。
組織内ですべての判断を行い、その説明を求められることがない、という組織内で完結した「正義」の世界は、刑事司法の対象が、一般の社会とは切り離された特殊な領域であり、一般社会の価値判断とは切り離された独自の判断を行うことが可能だったからこそ維持できるものだった。
恨みの弁天橋を渡れ!
そう詩人が叫んだのは1969年だったか。
弁天橋に恨みはなく、私は青春を過ごし、働き盛りを過ぎ
もはや人の心を操りながら、
権謀術策に身を委ねるしかない歳になった。
少なくなったとはいえ、私の前に立ちはだかる敵はいる。
負けたくはないが、退く時もまた必要。
兵を静め、ひと時舞台を去る。
捲土重来、その言葉を心に秘めて
私は歳を一つ重ねる
それも、また佳きかな
2000社の赤字会社を黒字にしたという長谷川和廣さんの著書「社長のノート」。
当り前のことが書いてあるが、今の私には重要。
ある社長にも、ぜひ読んでほしいのだが読まないだろうなあ。
一部引用。
人間のニーズには10種類ある。
1.豊かさニーズ(心豊かな人生を送りたい)
2.尊敬ニーズ(認められる人生を送りたい)
3.自己向上ニーズ(自分を高める人生を送りたい)
4.愛情ニーズ(愛されて生きる人生を送りたい)
5.健康ニーズ(元気な人生を送りたい)
6.個性ニーズ(自分らしい人生を送りたい)
7.楽しみニーズ(楽しく、ラクな人生を送りたい)
8.感動ニーズ(心ときめかせる感動の人生を送りたい)
9.快適ニーズ(快適な人生を送りたい)
10.交心ニーズ(仲良く、心温まる人生を送りたい)
あまり心に刺さらないのは何故?
藤波隆之「歌舞伎ってなんだ?」(講談社文庫)より。
元禄期の名女方として知られる初世芳澤あやめは『仕内が三度つづいてあたると、その役者は下手になるものなり」と語ったという。向上し上達しようとする意欲の喪失を戒めているのである。
仕内(仕打ち)とは、役者の演技そのものとか、役者の芸のありかたを示す言葉だとか。
三回成功すれば、人は慢心しかねないということか。
確かにそうかもしれない。
「会社の電気はいちいち消すな」(光文社新書)
仕入れのエキスパート、坂口孝則氏の最新作。
ただ、あまり参考にならず。
面白かったのは、次の三原則。
●人間は、愉しいこと、自分の利益になることしか進んでやろうとしない。
●人間は、ルールやシステムがないと、高い倫理観を持ちつづけられない。
●人間は、強制的にやらされることしか達成できない。
社会行動としては、そうなのかもしれない。
それぞれは別の形で発展していくだろうが、個々の人生観を論じるにどこまで説得性を持つか。
リーダーシップ論としては、参考になるが。
野村克也の著書、角川書店。
「中心なき組織は機能しない」
「野球に対する経験や知識が情報が左脳に蓄えられているからこそ、右脳から正確なひらめきや勘が生まれる。
知識やデータ、情報の裏づけのないひらめきや勘は、単なる思いつきである。」
「足が速い、球が速い、遠くへボールを飛ばす、そういう天性を持った選手をまず獲ってください。」
「目に見えない力は目に見える力に勝る。」
「日々変わっていくチームの未来をいかにイメージし、実際に作り上げていくか、そういう能力こそがチームを永らえさせる秘訣であり、それが失われた時がチームが崩壊に向う時である。」→未来創造力