毎日、この欄を埋めるのはさぞ大変だろうと思われているかもしれない。
これは日記ではないということは、最初の頃何度か繰り返した。
今日、何があり、これがあり、それに感想を書くだけなら、そんなに難しいことではない。
子供の頃の絵日記のようなものである。
子供ができて、大人にできないはずはない。
この欄は、その日何があったのかを書くのではなく、その日私が考えたことを書く欄なのだ。
だから、私がしないといけないことは、何かをすることではなく、何かを考えることなのである。
で、毎日、出社する途中とか、図書館やコーヒーショップで、まわりを観察しながら色々考えるようにしている。
そこそこ面白いアイデアが浮かんだり、興味深い視点を思いついたりする。
よーし、今日はこの話を少し突っ込んで書いてみよう、と決めて、さてこの欄に書く段になって、はたと困るのだ。
アイデアも視点も、思い出せないのだ。
部分的に思い出せないなら、まだ復元のしようがあるのだが、何にも思い出せない。
何かあったはず、ということしか思い出せない。
おそらく、その時に記憶(銘記)したセットが、すっぽり消えてしまっているのである。
誰だ、勝手に消去した奴は!
そう、本当に私でない誰かが、せっかく記憶させたデータを悪意を持って消したとしか思えないくらいなのだ。
記憶と言うのは、基本的に三行程で構成されている。
体験による銘記(記憶)→ 記憶の保持 → 記憶の想起
私の場合、銘記と想起はそれほど問題はない。
記憶の保持にどうも問題があるようなのだ。
想起は大丈夫なのだ。
記憶のかけらさえあれば、適当にそれを補って、それほど原体験と違わない記憶を再構成できるからである。
とにかく、保持できないのだ。
まるでパソコンのメモリに置いたのと同じ現象なのである。
電源が消えればメモリも消える。
脳の記憶部のどこかで、電源が落ちたのと同じ状態になるのだ。
ひどくなると、記憶喪失ということになるのかもしれない。
症状的には同じだとすると、これはちょっと気をつけないといけないかもね。
ただ、メモリへの焼き付け方が中途半端だから、簡単に消えてしまうのだという可能性もある。
こう毎日、色々考えていると、そんなにストレスをかけて記憶していられないというのも事実だからだ。
面白いというのは、瞬間的にそう思っただけで、冷静に考えるとちっとも斬新でないものなのかもしれない。
夢を見ている時に面白いアイデアがあったので、急遽目をさまし、書き留めておく。
朝、完全に目がさめてそのメモを見ると、わけのわからんことが書かれていて、少しも面白くなかったという経験ってないだろうか。
とにかく、年をとると、記憶の絶対量って膨大になるはずだ。
人間には、外部記憶部なんて存在しないし、記憶容量の増設も出来ない。
にもかかわらず、時間が経過するにつれ、記憶量が増えて行く。
人間はどこかで、その記憶量を処理しているはずだ。
年をとれば、記憶が長続きしなくなるのは、覚える量よりも処理する量の方が増えるからではないだろうか。
だから、毎日新しい情報をどんどん摂取する人は、同時に古い情報をどんどん処理しているということになる。
記憶の話というのは、とても面白い。
でも、ここから又何かを書きはじめると終りそうにないので、今日はこれぐらいで隠岐の島。(何のこっちゃ)
今までに500編以上、この欄を書いている、でも覚えているのは半分もない、特に最初の頃に書いていたことなど、ほとんど思い出せない、どこかでその文章とであっても自分の作品と気づかないかもしれない、小学校の文集で書いたことなんか皆さんそうではありませんか?安部邦雄