学生風のカップルが私の横で話していた。
「おれ、今度ADSLに変えようと思うんだよ。」
「ふう?ん」
「あるところで見たんだけど、速いんだよ。押すと直ぐに出て来るんだ。」
「ふう?ん」
「で、よく駅前でやってるだろ、あれに入ろうかと思って」
「あれねえ?、よく知らないけど、評判悪いらしいわよ。全然つながらないって。」
ヤフーBBのことらしい。
確かに評判は悪い。
マーケティング的にも土足マーケティングだし、勧誘している連中もあまり質がよくなさそう。
新宿あたりのキャッチセールス並にうさん臭い。
そんな先入観があるから、評判が悪いという指摘に思わずそうだそうだと相槌をうちかけたのだが・・・。
しかし、この発言の頭の部分、「よく知らないけど」は、捨て置けないなあ。
よく知らないのに、「つながらない」はないんじゃないの。
よく知らなかったら、断定したらいけないのではないか。
とはいえ、こういう無責任な発言、よく使われている。
よく知らないんだけど、あの人、××だって。
よく知らないんだけど、あの店、やばいんだって。
よく知らないんだけど、あの会社、潰れかけているんだって。
悪意があって言っているわけではないが、下手するとそういう風評によって更に悪くなるというケースも出て来る。
いわゆるデマの発生である。
インターネット時代、ますますデマがはびこりやすくなりつつある。
昔、豊川の金融機関で取り付け騒ぎがあったことを思い出す。
高校生が冗談で、ここ危ないと言った言葉が、たまたま誤解されやすいような条件が重なり、あっという間に引き出し客が殺到。
金融機関自体には何ら問題がなかったので、日銀が資金を集中し、パニックは広がらなかったが、今こんなことが起きたら、連鎖的に他の金融機関へも広がりかねない。
噂の怖さである。
70年頃の石油ショック時に発生したトイレットぺーパー事件。
あれなどは、まさに漫画だった。
トイレットぺーパーはパルプから作るのであって、石油から作るのではない、
何故に、トイレットペーパーの買い占めが起こったのか。
今なら、おそらくあそこ迄の騒ぎにはならなかったろう。
何故なら、今はウォシュレットが比較的普及している為、なければないで何とかなる家が多いからだ。
あの騒動がどこから起きたのかがヒントになる。
あれは、大阪の千里団地が発生地だった。
当時は、水洗式が普及しはじめた頃。
それまでは汲み取り式で、必ずしもトイレットぺーパーである必要はなかった。
私の記憶では、昔は新聞紙を小さく切ったり、質の悪いおとし紙などを使ったりしていた。
ところが、水洗になると、そんなものは水に流れないので、トイレットペーパーが必須になった。
つまり、当時の文明化された家では、トイレットぺーパーがなければ困るのである。
そういった危機意識は、モダンな千里の住民に潜在的にあったわけだ。
石油ショックで、トイレットペーパーがなくなる、という話がまことしやかに流れた。
そして、ある主婦がスーパーで大量に買った。
千里では、大パニック。
しかし、最初は、それはローカルな騒ぎで、千里以外にいけばいくらでも買えたのだが、そういった情報が広がるにつれ、トイレットペーパーがなくなるという危機意識はどんどん伝染していった。
女性にはとりわけショックだったようだ。
トイレットペーパーがなければ、用が足せない。
そんな生活は嫌だ、絶対に嫌だ。
そこからは女性によるトイレットペーパーの取り合いである。
何しろ、女性(専業主婦がまだまだ主流の頃)は一日中家にいるのだ。
サラリーマンは会社で何とかなるが、自分達は絶対に困ると本当に必死になった。
危機感は伝染するのである。
当時の押し入れには、一年分のトイレットペーパーが眠っている家が多かった。
それも高い値段で買ったものばかり。
常識で考えれば、トイレットペーパーがなくなるはずはないのだ。(8年ほど前の不作で米が無くなった時とは根本的に違う。米は作るのに一年かかるが、トイレットペーパーなんていつでも生産できる。)
噂は、時の気分とともに、広がる。
ヤフーBBの評判の悪さも、結局この時代の空気と密接に関係があるのだと思う。
そこで、人々は「よく知らないけど」なんて言葉を免罪符にして、無責任にその時代の空気を語るのだ。
知らないんだったら、黙っとけ!と望むのは無理なんだろうな。
時代の空気を感じあうのは、やはり言葉という助産婦が不可欠なわけで、後は、ひとりひとりの叡智にすがるしかないと思うしかないのだろう。
マスコミも簡単に信用してはいけないのだが、北朝鮮にしてもイラクにしても、何かうまく情報に踊らされているような気がしてしかたがない、安部邦雄