今日の更新は、「バッハのオルガン小曲集?われ、汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ」を聞きながら書いている。
と大層に書いたけど、早い話「惑星ソラリス」の映画音楽を聞いているだけだ。
「惑星ソラリス」というのは、ソビエトの映画監督アンドレイ・タルコフスキー(後にイタリアに亡命)のSF大傑作映画。
いや、タルコフスキーの作品をSFなどというと、申し訳ないかもしれない。
タルコフスキー芸術というべきもので、そんな小さなジャンルに押し込められるものではない。(ジョージ・ルーカスとは質が違うのだ)
惑星ソラリス自体は、ポーランドのSF作家、スタニスラフ・レムの「ソラリスの陽のもとに」を原作としているためSF作品と受けとめられるのはしかたがないかもしれない。
しかし、最初の画面にロシア語でソラリスとだけ出て、後はこのバッハの音楽が流れ、川面にたゆたう水藻がずーと映っているなんて、とてもじゃないが、スターウォーズのオープニングとはダンチなのである。
正直、私は最初にこの「惑星ソラリス」を見て以来、完璧にタルコフスキーにはまり(そんな人一杯いたろうな)、当時存在した大阪北浜の三越劇場が大々的にタルコフスキー全作品上映シリーズを企画したこともあって、彼の全作品を観賞することができた。(東京では、同じ頃岩波ホールで上映していたようだが。)
「アンドレイ・ルブリョフ」という映画を見た時は、何ともいえないスケールと深さを感じたものだ。
14世紀のロシア最高のイコン(聖像画)画家を描いた作品なのだが、当時のロシアの知識なんか全く何も持たずに見た為か、そこで描かれている世界が中途半端にしかわからない。
それでも、凄いなあと思わせたのは、やはり監督の目の位置が遥かに高く、遥かに深いからかもしれない。
タタール人がロシアを縦横無尽に侵略する場面の描写も又凄い。
よく、ヨーロッパを侵略するモンゴル軍やフン族などを、単なる野蛮な連中と描きそうなものだが、タルコフスキーはそうは描いてないのがユニークだ。
ロシアより、むしろ進んでいる民族のような描かれ方をしていたりする。
ロシアは、ただ腐敗するばかりの王朝という表現のしかただった。(といっても、この映画、ビデオでも出ていたはずだが、そんじょそこらでは手に入らない。一回しか映画で見たことがないので、記憶が間違っていたらごめんなさい。)
惑星ソラリスの話をしようと思っていたら、「アンドレイ・ルブリョフ」の話になってしまった。
ソラリスで凄いのは、タルコフスキーが未来の都市空間を描くのに、日本迄やって来て、東京の高速道路をそのまま使ったというところだ。
えー!これが未来社会かい!
毎日、走っているトンネルの多い首都高、そこを車はどんどん走って行く。
前に、どこぞで見たようなタクシーも走っている。
字は日本語。
いったい、未来では日本語も普通に使われているのか?
これを見たソ連の観客は違和感はなかったのだろうか?
ま、日本語なんて、彼等からすれば単なる記号にしかすぎないのかもしれないが。
映画は72年の作品だが、日本上映は77年だという。
5年間も一体、このフィルムどこに置いてあったのだろうか。
タルコフスキーのこと書き出すと、どんどんオタク化しそうだ。
知らない人にとっては、くそ面白くもない更新になったかもしれない。
タルコフスキーの遺作は「サクリファイス」という。
文字通り、自分を犠牲にして、核戦争で滅びる世界を救う話。
この映画にもバッハの曲が使われていた。
バッハのマタイ受難曲である。
ということで、今、曲を変えた。
皆さんには聞こえてないだろうが、今、バイオリンの悲しい音色が私の耳にかぼそく聞こえている。
しかし、この映画の長回しには実に感心した。
タルコフスキーは本当に長回しが好きな監督だった。
「ノスタルジア」でも・・・等と書いて行くと、ますますオタオタ地獄に陥りそう。
ま、今日は私の趣味的世界にちょっとおつきあいいただいたということで。
明日は、土曜日、サンクス・ゴッド・イッツ・フライデー。
今日は、営業の理不尽第二弾を書くつもりだったが、気が滅入りそうだったので自分の趣味に逃げてしまいました・・、安部邦雄