この毎日更新欄は別名ペンギン・ノートと言う。
ホームページのペンギンをクリックすると出てくるからだ。
ペンギンには大して意味はない。
好きな動物のひとつではあるけどね。
暑中見舞いにも、ペンギンのいるデザインをつい選んでしまう。
さて、このペンギンノート、一応整理する為に通し番号というのをつけている。
管理者と私しか知らない番号なのだが、それで行くと、今日はNo.941である。
まもなく1000だ。
一部、私の更新でないものもあるが、それでも1000回近くも続いているというのは我ながら凄いなあと思う。
続けていると、少しずつだが私の中に変化が起きるだろうと思って始めたのだが、まだまだ劇的な変化というものは何もない。
ただ、一日の終わりには、何かしら考えて書き込まないとと日々思いながら生きていることは間違いない。
私としては、とりあえず3年間は続けるつもりでいる。
それから先はまだ考えていない。
ただ、この欄を埋めるのが大変で、他のメニューが滞り気味なのが気になる。
そろそろsegawaxが毎日更新してくれないかな。
ところで、昨日書いた「暑中見舞い」なのだが、タイトル一覧をチェックしていたら、去年も全く同じ題で取り上げていたのに気がついた。
その中味なのだが、認識がちょっと違っているというか、一年もたてば考えも変わるなあと痛感したので、軽く触れておく。
そこで、私は「暑中見舞いはオルタナティブが存在するので、出す人は減るだろう」なんて書いている。
オルタナティブとは何か?
つまり、昨日「時代の徒花」と書いた「グリーティングメール」のことなのだ。
昨年は、私はよほど気に入っていたのだろう。
年賀状のオルタナティブにはならないが、暑中見舞いならこれで充分と言っている。
ああ、それなのに、それなのに。
供給者側がのってないということは、結局ユーザーが思ったほど使ってくれなかったのだろう。
これは、宣伝不足なのか、メール自体がどこかうさん臭いものに思われているのか。
メールは、挨拶に使うものじゃない。
情報を交換する為に使うものだ。
う?ん、どうなのかなあ。
まだ一年しか経っていないわけだし、これは又一年経ってから考えることにしよう。
あなたは暑中見舞い、メールで出しました?
実は、私も暑中見舞いをメールで出すこと等、全く忘れていて、昨日、原稿を書きながら気づいたくらいなのです、何か自分の意識が刹那的すぎやしないかなあ、と不安になるぐらい、社会が薄っぺらいのか、自分の脳が浮薄なのか、はて?安部邦雄