フランス・ギャルという、アイドル歌手がいた。
1965年に「夢見るシャンソン人形」が大ヒット、シルビー・バルタンと共にフランス二大アイドルとして日本でも人気を博していた。
本名、イザベル・ギャル。
フランス・ギャルなんてふざけた名前だなと思っていたが、苗字は本当だったのだ。
日本人なら、大和撫子という感じ。
こんな芸名で、果たして売れるものだろうか。
近いのなら、コロンビア・ローズというのが有名か。
コロンビアの薔薇、といっても、このコロンビアはレコード会社のコロンビアだが。
ご当地名をつけたタレントはたくさんいた。
物まねの大阪はじめ(関西人しか知らんかな)、川上のぼると大阪ヤローズ(またまた関西ローカル)。
夢もちぼーもない東京ぼん太、今や大阪市議会議長まで昇進した船場太郎氏(元吉本新喜劇座長)。
ちなみに、大阪はじめさんは、大きな家に住む御近所さんだった。
船場太郎氏も、よく千林の駅で一緒に出勤したものだった。
うわあ、話がめちゃくちゃ逸れてしまったよー。
さて、そんなベタな名前、と誤解していたフランス・ギャルだが、そのヒット曲「夢見るシャンソン人形」を聞いて、私はてっきり、シャンソン人形というのが実在していると思ってしまった。
フランス人形で、ついでに歌まで歌えるのがシャンソン人形なのだと勝手に解釈していたわけだ。
フランスには、すごい人形があるんだなあと。(人形が歌を歌うなんて、当時はすごかったはず)
でも、そんな人形はなかった。
日本のレコード会社がかってに「音の出るロウ人形(原題?)」をシャンソン人形といいかえただけだったのだ。
シャンソン人形=フランス・ギャルという意味だったらしい。
で、次にリリースしたのが、「涙のシャンソン日記」。
元は、「そばにいるか、どっかに行って」という意味のタイトルだったが、邦題は何故か「涙のシャンソン日記」になった。
フランス・ギャルの歌は、みんなシャンソンをつけておけ、という政策だったのだろう。
しかし、シャンソン日記って何?
シャンソンで日記を書けと言われてもねえ。
この流れで行くと、「恋のシャンソン娘」「素敵なシャンソン・デート」「愛と希望のシャンソン旅行」「花の新春シャンソン・ショー(言えるものなら言ってみろ)」と続くわけだけど。
一応、音楽業界には成功法則というのがあって、新人が一度ヒットを出したら、第二弾はほぼ同じような曲にする。
三作目になると、今度はがらっと違ったものにするのだが、それで売れるようだったら、その歌手は長続きすると言われている。
失敗したら、はいさようなら、なわけだ。
舟木一夫の時は、「高校三年生」の次は「修学旅行」、何かイメージも編曲もほとんど同じだった。
三作目が「学園広場」。
これはバラード風。
前二曲は、メロディにのっかって歌えばいいだけだが、「学園広場」になると、歌い上げる能力が必要になる。
見事に歌い上げた舟木一夫は、その後「仲間たち」「君たちがいて僕がいた」と、青春群像の語り部になっていったわけだ。
で、青春を歌えない年になって、挫折。
人気歌手も、色々大変なのである。
何か、例が古い歌手ばかりで申し訳ない。
今の歌手を例に出すことはできるのだが、今のヒットは本当のヒットかどうか見当がつきかねるのでやめておいた。
本当に最近の音楽業界、ちょっとひどすぎる。
昔のヒット曲なら、ほとんど歌えるのに、最近のヒット曲は何それ?というものばかり、私が歌えないような曲はヒット曲ではない!と叫ぶも空し初秋かな、今日も暑かったなあ、安部邦雄