東京生活15年もなると、価値観の半分は東京化していく。
テレビの1chはNHKで、4chは日本テレビ。
大阪に戻ると、テレビではいつも混乱する。
日テレ系を見ようと思って4chにすると、そこにはTBS系の毎日放送が。
テレビ朝日系を見ようと思って10chにすると、そこには日テレ系の読売テレビが。
もちろん、意識している時はそんなことはないが、何気なくチャンネルを変えようとした時に、思わず間違ってしまうのだ。
あ、そうか、ここは大阪か。
エスカレーターに乗る時もこれと同じ感覚になる。
東京にいる時は、当然のように左側に寄る。
それが習慣化している。
大阪に行った時、考え事をしていると、くせで左に寄ってしまう。
そうすると昇ってきた人が迷惑そうに私を見る。
あ、そうか、ここは大阪か。
考えていないと判断を誤る、文化の違いにはそういう面があるので気をつけていないといけない。
先日、あるテレビ番組を見ていると、エスカレーターは右に寄る?左に寄る?その境界はどこにある?というクイズをやっていた。
前に「探偵ナイトスクープ」でやっていた、アホバカの境界はどこかというのと同じ趣旨だ。
アホバカの境界は、岐阜県の関ヶ原あたりにあったはずだが、エスカレーターの左右もほぼ同じ場所になった。
具体的には、大垣と関ヶ原の間にある垂井という駅のエスカレーター。
大垣は、左に寄り、関ヶ原は右に寄っていた。
では、その垂井という駅ではどちらに寄ったのか?
何と、そのエスカレーターは右か左をあけるという慣習はなく、誰もエスカレーターを急いで昇る人はなかったのだ。
なるほどねえ、と感心した。
そういえば、昔のエスカレーターって、あまり急いで昇って行く人なんかいなかったなあ。
急ぐ人は階段で、というのが鉄則だったような。
いつのまに、右か左をあけるようになったのかな?
東と西の文化の違いというのは、最近ずいぶん平準化されつつあるように思うが、それでも明確に違うものもまだ多い。
タイトルの肉まん、豚まんもそうだ。
関西人にとっては、肉とは牛肉を指す。
だから、肉うどんとか、お好み焼きの肉玉というのは、すべて牛肉のことである。
東京では、肉まんといえば、豚まんのこと。
肉うどんも、やはり豚肉が出てきたことがある。
カレーに使う肉は、豚肉なのだ。
関西人にとっては、これはちょっと気持ち悪い。
カレーに使う肉は、牛が普通だろう。
わざわざ豚なんか良く使うなあと思ったものだ。
豚を使うならポークカレーと呼べ。
鶏を使うなら、チキンカレーと呼べ。
カレーは、ビーフカレーが当たり前だ。
これは、東京生活15年でも、変えられない。
思うに、食の問題だけは、習慣ほどは変わらないものなのだ。
カツと言えば、ビフカツ、或いはヒレカツ(ヘレカツ?)が当たり前だが、東京ではトンカツらしい。
ビフカツなんて言葉を使うひともあまりいない。
東京にはトンカツ屋さんが本当に多い。
大阪だとKYKぐらいしか思いつかん。(ま、実際は一杯あるでしょうが)
麺類では、たぬきが東京と大阪では違うし、もりそばは東京にしかない。
しっぽくとかハイカラうどんとかいうのは、大阪特有だろう。(なか卯の進出でハイカラは何となく認知されてはいるが)
酒の<あて>と<付き出し>の違い。
コーヒーのフレッシュとミルクの違い。
喫茶店でフレッシュ下さいといっても通じない。
ミックスジュースをジュースですますのも通じない。(第一ミックスジュースなんかメニューにない)
前から思っているのだが、納豆のパックに必ず醤油とからしがはいっているのは何故?
あんなの必要なのか?
醤油とからしぐらい、家にあるだろうと思うのだが。
カップ麺みたいに、おやつ代わりに食うわけでもあるまいに。
毎回、封を切るのが大変で、あちこちにこぼしたことも数知れず。
こんなものいらない、私はそう思いますことよ。
東西文化比較論というのは面白いのだが、話が断片化すると本質から外れるような気がする、文化とは情報と同じ、伝搬しやすいものもあれば、移動しにくいものある、インターネット論と一緒に考察してみるのも面白いのではあるまいか、安部邦雄