もうこれ以上、何をやっても無駄だと思った時、人は生きる意欲を半分なくす。
後の半分というのは、何があっても人間は生きないといけないという倫理観みたいなもの。
年をとると、人間生きる意欲がどうしても落ちる。
明日はああしよう、こうしようと思いながら寝ることも減って来る。
若い頃は、明日どうする?と思う前に寝てしまっていた。
滅多なことでは不眠等にはならなかった。
中年になると、色々悩みが増え、寝る時にはいつも何だかんだと考えてしまう。
考えるのがいやだからと酒に逃げる。
次の日の朝、気分がすぐれないまま、会社に行く。
こういうのは生理的によくないのだが、悩みや迷いが睡眠を妨げる年代の宿命かもしれない。
そして、老年。
ルーチンの仕事もなくなり、明日することがない。
こうなったら、ぼけるのが一番幸せになる。
寝る前に何も考えなくていい。
待てよ、ボケ老人って、寝る前に何か考えるのだろうか。
ボケ老人は悩むのだろうか。
人生は辛いと思うことがすこしでもあるのだろうか。
ないよな、おそらく何も苦痛じゃないんだろう。
そこには生きる意欲もないのだろうか。
私、最近ふとしたはずみに生きる意欲をなくしていることに気づく。
このままじゃ、もうだめだなあ。
何も新しいことはない。
努力してもすべて空回り。
第一、オレなんか、もはや大したこともできないや。
生きる意欲とは、寝る前に、明日これをやろう、あれをやろうと思うことかもしれない。
何も考えたくない、酒でも飲んで脳を適当にごまかしたい。
これは年だから?
それとも、単なる気の迷い?
いやあ、ほんと微妙な年令にさしかかると、生きることが苦痛になるもんだなあ。
ま、あんまり深く考えるのはよそう。
こんなこといくら考えても、何もならないのはわかっているのだから。
日曜日は退屈だ、今まで生きてきた膨大な日曜日の半分は、ただ退屈ですることがなかった、安部邦雄