前にも書いたことがあると思うが、この更新欄には管理者用のナンバーがふってあって、今日は何とNo.1004である。
単純にいうと1004回めの書き込みということだが、色々な都合で削除したものや番号を飛ばしたものが二ケタあるので、実際にはまだ950回目ぐらいだろうか。
この欄のスタートは、2001年の4月。
私は、その頃は自分の出すメールマガジン『インターネット私見』と「安部邦雄全仕事」に力を入れていて、更新にはさほど労力をさかなかった。
というか、これぐらいの文章だったら書くことはいっぱいあると思っていた。
それから2年半、さすがに中味のある文章を書くのは辛くなりつつある。
1年後に、メルマガも全仕事も更新停止状態になった。
ふだんの仕事もやって、毎日更新もする。
しかも、この欄を楽しみにして下さっている人も多い。
中味のない文章ならいくらでも書けるが、「最近、面白くないですね。」とはやはり言われたくない。
何とか書き続けた2年半。
まもなく、1000回目の更新ということになる。
毎日書いていると何か変わるのではないかと、私は思った。
私の中で、新しい思考様式がうまれるのではないか。
別の可能性が見えて来るのではないか。
だが、実際はそんなに変わったところはないというのが今の結論。
何しろ、書いた内容等、どんどん忘れて行く。
積み重なるというより、まき散らすという感じ。
その当時、持っていた知識や見識も、時間がたてば物の見事に忘れてしまう。
日々の延長で、知らぬ間に思想体系が完成しているなどということはありえない。
そういえば、睡眠学習法という、寝る時に毎日聞いて英語を覚えるなんてのがあったが、あんなのは無理だと私は思う。
毎日繰り返すという習慣を身体に覚えさせるというのは正しい。
だからといって、英語の構造が脳に入るわけではない。
断片が何らかの形で記憶されるだろうが、それは積み重なって体系を作ったりはしない。
体系を作るには、そうやってどこかにしまいこんだ断片を、覚醒時に体系化する努力が必要である。
日々の記憶は、時間とともに圧縮され、変型されたりする。
これはコンピュータを見ていてわかることだ。
そのままで脳がずっと覚え続けること等ありえない。
人間の頭は、パンクしたりはしない。
意識の知らないところで、勝手に処理しているのだ。
栄養と知識は似ていると思った方がいい。
栄養は、長い時間の中でどこかに残って行って、人間の身体を健康な形で維持しているのである。
栄養がどんどん消費されるように、知識も又、消費されるのだ。
知識だけは別、脳だけは別なんて、人間世界ではありえない。
毎日、何かを書き続けたところで、結局残っているものは、エッセンスか既に変型した記憶である。
そりゃ、毎日脳の細胞は何十万と死んでいるんだ。
私の知識もどれだけ消えて行ったかわかりはしないじゃないか。
他人のホームページを見ていると、3年も毎日書き続けるなんてのはあまりない、たいていどこかで色んな理由をつけてやめている、何故か?限界を感じるんだと思う、最初は楽しかったが、結局だから何?と思いはじめると、書く辛さに耐えられなくなるんだろう、いわゆるインセンティブの喪失、金でももらえれば別だけどと思うんだろうな、安部邦雄