ついに偉大なる芸人が死んでしまった。
もう二度とあの軽妙な話芸を生で聞くことが出来ない。
枝雀師匠、志ん朝師匠、小さん師匠も他界、これで米朝師匠まで亡くなったらどうしよう。
藤山寛美さんも、亡くなって久しい。
しかし、夢路いとし師匠は嫌味がなくて好きだったなあ。
やすきよのような、あざとさがなかった。
知識をひけらかすわけでもなく、小道具を使うわけでもなく、淡々と漫才道を歩んでおられた。
ダイマル・ラケット師匠には、心斎橋パルコで収録した3日間独演会のレコードが残っている。
しかし、いとし・こいし師匠には音源は驚くほど少ない。
米朝師匠の音源だと何百とレコードになっているのに、いとこいさんの少なさ。
東京人はどこか漫才を馬鹿にしているのかもしれない。
名人芸といえば、すべて落語。
しかし、話芸という範疇でいえば、漫才のそれも落語をしのぐものだってあるはずなのに。
落語は粋だが、漫才なんて下品なだけ。
上方の人が漫才漫才なんてワアワアやっているが、あんなのは野暮というもんでゲス。
だからなのか、落語家に人間国宝はいても、漫才師にはいない。
せいぜい紫綬褒章どまり。
夢路いとしさんには、せめて文化勲章ぐらいあげてほしかったなあ。
放送局のディレクター時代、いとこいさんのレコードを自分の貯金を使ってもいいから出させてあげたいと思ったものだ。
ダイラケさんのようなイベントをして、後世にもっと音源を残してあげたい。
でも、そんな思いも空回りしただけだった。
東京に来て、大阪の動きをフォローすることはなかなか困難で、結局、いとこいさんのCDを作る夢はかなわなかった。
心にポッカリ穴があいた気分。
いとし・こいし回顧展なんか、誰かやってくれないだろうか。
私は、人間的接点がないので、どうしてもこのジャンルは苦手なのだ。
でも、最近の大阪、こういう地道な作業はあまり好まれないみたいだなあ。
いとこいさんと言えばやはりお巡りさんのネタがピカイチだった、昭和30年代の音源をカセットに入れて今もよく聞いている、今夜は鎮魂の意をこめてゆっくり聞くことにしよう、安部邦雄