私の家の前に中学校がある。
どうも今日は卒業式だったのか、女の子同士がしきりにお別れのエールを交わしていた。
ひょっとしたら、しばらく会えないかもしれない、そんな気持ちが相手の女の子の名前を精一杯の力で何度も呼び、大きく手を振らせていた。
ちょっと感動的だったりする。
こういう感情を素直に表現できる彼女達に敬意さえ感じた。
私の卒業式はどうだったか?
ほとんど思い出がない。
どんな時の卒業式も、単なる次への通過点という意識しかなかった。
小学校の卒業式で覚えていることは、来賓の市会議員さんが他の議員さんに盛んに野次られていたこと。
教育の場で大人気ないとは思ったが、小学六年生にして、すでに国会等では野次が当たり前だという認識もあり、私自身はさして驚きもせず、それを聞いていた。
中学校の卒業式。
学業優秀の生徒を表彰する時に、本来選ばれるはずの人が選ばれていない、これは依怙贔屓だなどという父兄の苦情も出た由。
私は選ばれていないが、そのかわり3年間皆勤賞を代表していただいた。
担任の先生が、私の母に「選ばなくて申し訳ない」と謝った時のことだ。
母も私も、そんなことで先生が謝るなんて、先生というのは大変な仕事だな、と痛感した次第。
確かに、私の母に学校を糾弾しようと誘う人もおられたそうだから、人の社会は一筋縄ではいかないということか。
母のセリフを思い出す。
「あんたが、成績優秀者に選ばれなかったので、皆勤賞を壇上で貰いに行くかどうか、凄く心配だった。もらった賞状を破り捨てないかとヒヤヒヤしたんだよ。」
誰が、そんな非常識なことをするものか!
でも、そういう危惧は私の性格を知っているものとしては、当然持つ危惧であることも確かかな。
何しろ、昔から権威なんて大嫌い。
賞状なんて、その価値を全く認めていなかったものだ。
高校の卒業式は、大学に行くことしか考えていなかったので、ほとんど何も覚えていない。
大学の卒業式は、元々参加していない。
卒業証書って、もらったかどうかも忘れてしまった。
でも、本当はそういう節目の1つ1つが思い出として強く残っている方がいいに決まっているのだ。
世の中を斜に見る癖をつけてしまった私の悲劇だったわけである。
後は、人生の卒業しか残っていない。
でも、その時の式を私は見ることはできない。
もう、後戻りもできないのが、更に悲しいことではありませんか。
少女達の向こうで桜の蕾みがふっくらとしはじめています、少女達と桜に、頑張ってねと小さく叫んでみました、安部邦雄