第一期ディレクター時代 (1976〜1980)
JOBUポップサロン「あなた」(1979〜198?)<パート2>
JOBUポップサロン「あなた」は、当時のFM大阪においては画期的な番組だった。(制作部内では評判は決してよくなかったが)
それまでは、FM局は「モア・ミュージック、レス・トーク」なんてコンセプトが語られる時代で、しゃべりは長くとも3分以内にとどめろと教育されたりしていた。
そんな時に、ゲスト中心のトーク番組を作れと言われたわけである。
今思い出すと、ゲストコーナーはおよそ30分程度だったと思う。
中に2〜3曲程度、つなぎ程度に音楽を入れていた。別にポップスでも邦楽でもよかったはず。
結果的にほとんどがトークで占められることになる。何しろ、DJはAMをやめたばかりの口八丁手八丁の奥田博之さんなのだから。
ゲストで結果的に一番多かったのは、やはり音楽関係だったと思う。
音楽をかけやすかったということと、FM局への売込みは音楽関係が一番多かったからだろう。
豊田ディレクターはこの傾向には批判的で、もっと文化人を入れるべきだという意見を持っておられた。
お説ごもっともなのだが、毎日のゲスト入れはこれはこれでとても大変だったのだ。
大体、FM局のディレクターなんて、音楽関係以外の人脈などほとんど持っていなかった。
それゆえ、それ以外のゲスト、特に文化人というと、一から本人と交渉しないといけない。打ち合わせにこちらから出向いて、大枠の台本を作って、それを事前に送って、などという作業が不可欠になる。
何だ、そんなの当たり前だと思われるだろうが、前にも言ったように私は群を抜いて忙しいディレクターだった。
朝から晩まで何らかの仕事をしている。毎日届けられる多数のサンプルレコードを一応は耳に通しとかないといけないし、レコード会社やイベンターのプレゼンも聞かないといけない。
それ以外にも、スタッフの持ち込み企画等も一緒に検討してあげたりしたし、タレントさんの売込みにも対応してあげないといけない。
正直言って、こんな善意のかたまりのようなディレクターなんてそうはいない。何故なら、こんな善意をふりかざしていたらディレクターはみんな精神的につぶされてしまうからだ。
ディレクターなんて、わがままでなければやり続けることはできないだろう。人間的にはどうかと思うが、ディレクターというのは、面白い番組を作ってなんぼである。人格なんてこの際二の次でいい、善意のかたまりだった私は絶対にそう思う。
当時の私の番組数は30分番組1本、55分番組1本、5分ベルト番組1本、5分番組1本、それにこのJOBUポップサロン「あなた」である。
それ以外に、ニュースアナウンサーとして宿直勤務をやらされる。
だいたい、泊まりと明け合わせて5〜6本のニュース枠をこなす。宿直だから、基本的に夜は仮眠程度しかとれない。
とすると、残りの3日で上の業務をやることになる。
ゲスト入れがどれだけ大変な作業かわかってもらえないだろうか。
最初はディレクターが5人いたからまだよかった。しかし、これが3人になり、そのうちの一人が新人、プロデューサーはケアしないとなるとこれは地獄だ。
つまり、JOBUポップサロン「あなた」の4日分が私の肩に乗ってきたのである。
安月給のヒラのディレクター(当時20代)の私にである。
当然休日をつぶさないとこの仕事の量はこなせない。思い出しても二度とやりたくない文字通りの地獄の日々だった。
面白い番組なんて、ただディレクターでございで機械的に番組を作っている連中に作れるはずはないことはお分かりいただけると思う。
私は、作る以上、それが何らかの面白さを持っていないと許せないタイプだった。
それでパーソナリティの奥田さんとつきあったし、色んなゲスト候補の方にも積極的に会いに行った。
新人のディレクター君も慣れない割によくやってくれたと思う。
結果、前回も言ったが、番組は評価されたと思う。
しかし、何故5人のディレクターを3人にしたのか、今でも恨みの一つでもいいたくなるところだ。
ゲストの思い出は色々あるが、印象に一番残っているのは新人の頃の紳助・竜介。
朝早い番組にゲストを呼ぶというのはこれはこれで大変で、朝の時間帯なんですがと言うとけんもほろろに断られたこともよくある。
それなのに、人気が出始めの頃のこの二人は朝でも何故か断らなかった。FM局からのオファーなんて初めてだった為、興味をそそられたのかもしれない。
当日、まず最初に竜介が不安そうに事務所に入ってきた。FM局なんて入るのが初めてな上に、そんな時間には一般社員は誰も出社していないため事務所がシーンとしていたからだろう。
スタジオは玄関のロビー横にあったため、そういう姿がこちらからよく見えたのだ。
スタジオに招き入れても彼はまだおどおどしていた。相方の紳助は約束の時間になってもやって来ない。
「来ないことあるんですか?」と聞くと「いえ、そんなことないと思いますけど」と気弱に竜介が答えた。
ゲストコーナーのギリギリの時間になって駆け込んできたのがつなぎ姿の紳助。
「すみません、朝日新聞の中にある放送局といわれたので、前のフェスティバルホールのある、新朝日ビルに行ってまして。」などと意味不明の言い訳をする。
ま、そんなことはどうでもいいことなので、打ち合わせもオンエアに乗っけてしまえと言う形でゲストコーナーを開始した。
正直言って、無茶苦茶面白かった。テレビで見ている以上に面白かった。すごい才能、すごい計算、天下取るならこいつだな、とその時強く思った。
残念ながら、竜介にはそんな気持ちは少しも湧かなかったが。
ゲスト話は他にも色々思い出すが、いい印象を持った人は、板東英二さんがトップ。誰に対してもとても丁寧。初対面の私にも安部さん、安部さんと何度も名前を呼んでいただいた。前川清さんもナイスガイだったが
とりあえず、ゲスト話はこれぐらいでやめておこう。別の機会に取り上げることがあるかもしれないので、その時に続きを書くことにする。
次回は番組内のセグメント、ハウジングレポートについてである。