第一期ディレクター時代 (1976〜1980)
サウンズ・ウィズ・コーク「COME ON IN MUSIC」(1978〜198?)
デデ七が終わった後の後継番組(日曜日午後6時〜)がこれ。コカ・コーラ提供のポップス紹介番組。
といっても出演が杉田二郎さんだったので、二郎さんの新曲等は関係なしに何度もかけた。
「COME ON IN COKE!」というキャッチフレーズでコカ・コーラの宣伝がされていた頃だったため、こんなタイトルになった。
代理店の命令、いやも応もない。
出演は、杉田二郎さんとジーン長尾。彼女はデデ七に続いてアシスタントとして出てもらった。
構成は音楽評論家の上柴とおるちゃん。一見、八木誠さん風の若手ライターだった。(八木誠さんって覚えてません?)
番組の途中で横井くにえさんのLAレポートが入る。このコーナーは別どりで、国際電話で毎回レポートしてもらっていた。
番組はデデ七が終わって、すぐに次の週からスタート。
最終回は、私が営業に異動してからだから、私はよく覚えていない。1回と2回に出てきた先輩の真理ちゃんに番組を引き継いだはずだ。
杉田さんは、私が高校時代から知っていたフォークシンガーだった。
最初に知ったのは、はしだのりひことシューベルツの時。やたら声量のある、ごつい顔の兄ちゃんだった。「白い鳥にのって」「朝陽のまえに」は杉田さんがメイン。(そんな歌知らん?)
次に、4人組のジローズ(全員名前にジローが入っていた)を結成し、それから何故か後にラジオ関西(現AM神戸)のディレクターになる森下悦伸さんを無理矢理森下ジローと名のらせ、二人組のジローズを結成。この時にヒットしたのが「戦争を知らない子供たち」だ。
森下さんは、声量が全くないので、杉田さんとのハーモニーはミスマッチもいいところ。
可哀想だな、と私はよく思ったものだ。
ま、嫌いじゃなかったので私にはとてもウェルカムな出演者だった。
横井くにえさんは、78年の秋に私が始めてアメリカの西海岸にFM局の視察(というか遊びがメイン)に行った時、ロスで初めてお会いした人だ。
くにえさんはその前に近畿放送(現KBS京都)でDJをしていた。声が独特で、京都風の柔らかい日本語がとても好きだった。
その時は、しばらくロスに長期滞在しているとのことだったので、この番組のコーナーをお願いすることにした。
ピンクレディーがアメリカに進出なんて騒いでいた時で(「キッス・イン・ザ・ダーク」がアメリカのチャートに登場。もちろん金を使ってチャートを上げたはず)、アメリカのテレビ番組に登場したピンクレディーの模様をレポートしてもらったのを覚えている。(最低な扱いだとくにえさんんは怒っていた。)
上柴とおるちゃんは、今や単なる頭の固い(失礼!)音楽ライター(復刻盤のライナーノーツを量産中)だが、この頃はまだ「レコード新聞」という業界紙の記者をしながら、FM大阪の構成の仕事をサイドビジネス的にしていた。
彼は、私とずっと仕事をしたがっていたと記憶するが、この番組でやっとコンビを組むことになった。(これ以後長いつきあいが始る。偏屈なオッサンぶりは今も変わらない。)
二郎さんの思い出は色々あるが、番組の最後でジーンがいつも「バイナウ」というのがカッコいいから俺もやる、但しドイツ語でと言って、叫んだ言葉が「アフダビゼン!」だった。
スタッフは爆笑。「アウフビーダーゼン」でしょ、と皆から突っ込まれていた。
でも、二郎さんはその後、ずっと番組の最後には「アフダビゼン」と意地になって叫んでんいた。
もう一つ、逸話を。
普段は完パケ(つまり録音)番組だったのを、一度生放送でやろうということで、ある日曜日の夜、緊張の中、オンエアーを開始した。
ラジオは生だというのが私の主張だった。土曜とか日曜は全く生番組がないのが不満だった私は、何が何でも一度は生放送をしてみたかったのだ。
リスナーもそうしてほしいに決まっていると信じた私、出演者やスタッフに頼み込みやっとこの日を迎えた。
くにえさんとの電話も生対応。今のロスの模様を詳しく伝えてもらった。(これがどれだけ凄いことか、今の環境に慣れた人には想像もつかないだろうが。)
番組は何とか終了。緊張感からやっと解放された私は、そのまま宿直業務(ニュースアナウンサーとして泊まり込む)についた。
しかし、この間の作業がストレス過多だったのだろう、次の朝、私は致命的な放送事故を起こした。(詳細はここでは書きません)
例の大島さんにはこっぴどく怒られた。「大体、生放送なんて僕は反対だったんだ」とまで言われた。
始末書提出で一件はとりあえず結着。
始末書の一枚や二枚は出すのが勲章なんて言われるが、ちょっとこたえましたねえ。生放送反対だったなんて、本当は言ってほしくなかったしなあ。
(写真は録音の模様の一場面です。)
1-07) デデと七人の探検隊 (1977〜1978) <パート3>
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安部邦雄全仕事
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1-09) JOBUポップサロン「あなた」(1979〜198?) <パート1>
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