第一期ディレクター時代 (1976〜1980)
デデと七人の探検隊(1977〜1978)<パート2>
第一期の代表番組がデデ七といったが、この番組が私に残してくれた教訓は本当に多かった。
★アベチャン
(ディレクター)
FM大阪きってのインテリ、国立一期大卒ディレクター。 その頭脳は知識の宝庫。 オールドポップスフリークで、ダイアンリネィを聞いてナミダを流す不思議な人物。趣味はこれまた風流なラジカセあつめ。 すでに10台に近い保有台数をほこり、ヒマな時はそれら全てをいっきにフルボリュームで聞くという。独身、愛人募集中!30才まであとひといき。
一つは、これが業界へのデビュー番組であったこと。 そしてその結果、FM大阪に安部あり、と言われるだけのものを残したことだ。
私はこの番組で業界人に認知され、 その後 <安部ワールド> を作り上げていくことになる。
社内では <出る杭> だったため、頭をガンガン叩かれたが、外部からは一番仕事をしたいディレクターと呼ばれるようになった。
少し天狗になっているのではとも言われたが、私自体はそんな気持ちになったことは一度もない。
ただ、社内では一番の若手ディレクターのくせに生意気だとはよく言われた。
そりゃ生意気だったろう。先輩のやってることが古くさくてかなわなかったし、ちっともクリエイティブだとは思えなかったからだ。
ディレクターでございで仕事できて、けっこうな身分ですねとよく皮肉をいったものだ。
さてデデ七だが、影のスタッフがたくさんいると言ったが、その方たちというのは、基本的にはレコード会社の宣伝マンと呼び屋といわれたイベンターさん、それに音楽雑誌のライターの人たちだった。
そういう人たちが毎回録音に立ち会っておられた。(スタジオの中に居やすかったんだろう。)
★クニキ
探検隊技術顧問。 アルコールとオーディオのことなら彼の右に出るものは無いといわれており、酒豪のウワサもあり。 しかしミキシングに関する耳の方は確か。 クニキは名前で、姓はミツノブ、どちらをとりかえてもいける便利な名前の持ち主。 前出のエハラクンとともに全中連(全国中退者連合)をつくり不当に弾圧されている中退者の地位向上の為、日夜戦っている。
この結晶が、78年の1月の正月に放送された特別企画 <夢のファルコン号> だった。(収録は年末)
77年というのは『スターウォーズ』が作られた年なのである。(日本上映は78年)
映画の中味は何もわからないのに、スタッフみんなでミレニアムファルコン号に乗ってスターウォーズの世界を見に行こうなんて内容だった。
スタジオに影のスタッフも入ってもらい、酒と食事と乾き物等を用意して、朝迄騒ごうというのだが、何と20人以上も人が集まり、何が何だかわからないものになってしまった。
事務所のあっちこっちで酒盛りが始って居た。宿直用のベッドも酔っ払いで埋まってしまった。その日の泊まりの人間は災難だったろうが、あまり文句を言われた記憶がない。
デデ七はよく、スタッフを集めて外で遊んだ。
ちょうど、ウェストコーストサウンド華やかなりし頃、遊びとしてフリスビーとか、ローラースケート(リンダ・ロンシュタットもやってました。)とか、スケボーなどが日本に入って来た頃だ。
これを平日の昼間にやる。
例えば、ラジオ関西(現AM神戸)の前の須磨海岸に昼間集合と告知。
レコード会社の宣伝マン達は、ラジオ関西にプロモーションと会社に報告して、実際は海岸でデデ七の遊びイベントに参加していたわけだ。
★ノダクン
英国遊学の経験を持ち、一見インテリ風で語学力抜群(のはずだが実際に英語を喋ってるところは誰も見たことがない)だが、その実は歩くゴミ箱の異名を取る恐怖の間食魔。 雑食性、好色性、夜行性そして変態性の四大性人! 録音中もいつも何かを食べているのはこの人。 25歳。 愛人あり!
78年番組は終了し、打ち上げは、何と浜名湖まで移動した。
デデがその頃、東京に進出するということで東京に住んでいた為、では大阪と東京の中間でということで浜名湖のリゾートマンションを2部屋借り切って大いに盛り上がった。
おかげで部屋は水びたし、何だこいつらという乱痴気騒ぎになってしまった。
リステル浜名湖の皆さんゴメンなさい。(何故水浸しに?)
尚、前回使ったイラストは、番組で作ったパンフレットの表紙。78年6月に発行したもの。
編集は、後に9人目のスタッフになった野田君が担当している。
野田君も私より若いくせに、高校時代からFM大阪でバイトをしていた私の先輩になる。
大学時代、イギリスに留学。トレンディなものにめっぽう強く、私は大変重宝した。現在は某代理店でSPを担当している。
(野田君、光延、安部のイラストを今回は掲載)
1-05) デデと七人の探検隊 (1977〜1978) <パート1>
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安部邦雄全仕事
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1-07) デデと七人の探検隊 (1977〜1978) <パート3>
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