第一期ディレクター時代 (1976〜1980)
ベスト・プレイ・ザ・ピアノ(1976〜1977)
この番組に関してはほとんど記録がない。しかし、私の中にしっかりと記憶として残っている番組だ。
土曜か日曜の5分番組。時間帯はお昼だったと思うがそのあたりは曖昧である。
タイトルのセンスはまあまあだと思う。これも例の大島次長がついでにこれもやれと企画書を置いていった番組。出演者もタイトルも決っていたと思う。だから、センスが良いということになると、大島さんのセンスが良かったことになる。
でも、ひょっとしたら私がつけたタイトルかなあ。センスよすぎるもの。(またまた自慢話)
出演者は、申し訳ないことに名前を忘れてしまった。
ある電器店の生コマをテレビでやっていた、そこそこ人気のあるタレントさんだった。
初めて仕事をした時に、「ああ、頭のいい人だな。」と思った。変に出しゃばらないし、やってほしいことだけを正確にやってもらえた。
でも、しばらくしてタレントをやめたのだろうか、全く噂を聞かなくなり、今に至っている。
もし、このタイトルとFM大阪の番組に覚えのある方は御連絡を。
番組は5分間だが、ポール・モーリアと違ってこちらはサス。CMがない分、テーマ曲も使えたし、曲も時間迄聞いてもらえた。
たいてい、カーメン・キャバレロとかフェランテとタイシャーとかフランク・ミルズとかかけていた。ああ、ピアノといえばリチャード・クレイダーマンが有名だけど、彼のデビューは77年の「渚のアデリーヌ」なので、この番組ではかかっていない。
そういえば、この頃ピアノだけのヒット曲って聞かなくなりましたね。何故なんだろうな?
番組の思い出というと、私がまだ新米のディレクターなのでタレントさんとの距離感をうまく把握できていなかったことだろう。
毎回、一ヶ月分(月4本)を一気に収録してしまうので、このタレントさんとは月に1回しか会わない。終わってから、ちょっとお茶でもということで、当時朝日新聞ビル(大阪中之島)の5FにあったUCCコーヒー・ショップで話し込んだことが一度だけある。
放送界のこと等ちっともわかっていない新人ディレクターの語る番組論なんか、彼女には馬鹿馬鹿しくって聞いてられなかっただろうなあと今でも赤面の至りである。
彼女は媚びばかり売るタレントさん(ありがち!)ではなかったので、その時の態度とか非常に爽やかな印象を与えた。
本当にあの人にはもう一度どこかで会えないものかと今も思っている。
1-03) 大関ポール・モーリア・ポピュレール (1976〜?)
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安部邦雄全仕事
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1-05) デデと七人の探検隊 (1977〜1978) <パート1>
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