インターネットはフリーネット?のまとめ
前回はインターネットはフリー(タダ)かという命題を立てたわけだが、今回はそれをもう少し分かりやすくまとめてみよう。
インターネットは基本的に無料であるという形式をとった方が今は普及が図られるというのが、私の結論である。
特許(ビジネスモデル特許)をとって儲けても別にかまわないと思うし、商品を売って稼いでもかまわない。勿論、著作権が商売になるのならそれもいい。
ただ、インターネットをインフラとして使う場合、基本的にフリーにしておいた方が客がトライしやすい、つまりサイトに来てもらえるといいたいのである。
e−ビジネスはお客さん次第
いわゆるe−ビジネスの入り口はお客さんに来てもらえることである。どうやって儲けるかなど、後回しでいいではないか。
トライヤーの獲得→リピーターの確保→リピーターのロイヤル・ユーザー化。
繰り返すが、これがe−ビジネスのモデルである。
配信ビジネスにおいてはロイヤル・ユーザーをどれだけ最終的に確保できるかが勝負なのであり、その過程ではないのだ。
※ワン・トゥ・ワン・マーケティングでは、ここにLTV(Life Time Value=生涯価値)という概念が加わる。
顧客のLTV値の最大化が目的だという。
つまり、ロイヤルユーザーが生涯で生み出す価値を独占的に受け取ろうというのである。
利益を得る対象はロイヤルユーザーであり、その人が生み出す価値(購買能力)を最大に受け取る為にはどうしたらいいかが 、ワン・トゥ・ワン・マーケティングの目的といえる。
インターネットは当面フリーで
インターネットはフリーというのは何もそれが普遍的に正しいといっているのではない。今の段階ではフリーにしておいたほうが、ユーザーが簡単にやって来れるし、利用率も高まるというわけだ。
最初からどうやって儲けるかに力をいれるよりは、どうやってお客さんに来てもらえるかを考えた方がいいのではないか。
第一、課金する手間や、著作権処理の手間が増えるだけ厄介だとは思わないだろうか。
タダなら何もする必要がない。
その内、顧客化したユーザーから様々な形で利益が還元されるだろう。勝負はそこからである。
広告費も客の数で決まる
トライヤーが増えることは広告費の受け皿にもなり、過渡的には好ましい。
広告費がテレビからどんどんシフトされるようになれば、ウェブサイトとしての配信業者の利益も増大することは自明だろう。
(しかし、今のインターネットで見られるような広告は余りにもチープだと既に述べた。その為に、今のような形式の広告は早晩大いに変化し、新しいテクノロジーによる広告が開発されることになると私は予測する。)
配信ビジネスとしては、今は過渡的な状況であると割り切り、可能な限り無料でユーザーを募り、例えチープでもバナー広告等で、メンテナンス費用を補うことを考えるべきだろう。
私達の目的は、あくまでもセカンドステージとしてのロイヤルユーザーとのビジネスである。そのビジネスの具体像については、次回以降にに深く掘り下げることにしたい。
※などと言っていると、アメリカのサイトでSoudom.comというのが開設された。
驚くなかれ、サイトにアクセスして曲を聞けば金をくれるんだそうだ。タダどころの話ではない。
どうやら、広告収入をアーティストとリスナーにシェアしようというシステムらしい。
とにかくお客さんに来てもらう為には何でもするということだろうか。
http://www.soundom.com/既得権益にすがる業界の行方
さて、前回予告した、既存音楽業界の行方である。
レコード会社はもう今の体制を維持できないのははっきりしている。
それはレコード会社も自覚していることだ。
パッケージ産業としての音楽業界はもう終りだ。
これからはノンパッケージとしての音楽業界を模索しなければならない。
パッケージ部門がなくなるわけではない。
しかし、それに頼っていればジリ貧になるだけである。
レコード店もなくなるわけではない。
ただ、今程のショップ数が必要でなくなるだけである。
パッケージの売上は確実に落ちて行く。それに連なって飯を食っていた人々の絶対数が減るのはしかたがない。
レコード業界の誤り
レコード業界は、自分達がコンテンツを持ち、アーチストの発掘・育成にアドバンテージを持っていることを強調する。
しかし、これは半分程しか正しくない。
今や音楽の開発部門はプロダクションに移っている。
プロダクションはアーチストがヒットすれば金が入ってくる。
別に、パッケージであろうとノンパッケージであろうと、そんなことには無頓着であるといえる。
アーチストの評価システムが再構築される
プロダクションは、では不変か。これも確実ではない。
新しいアーチストは必ずしも今の音楽業界のシステムに組み込まれなければ売れないわけではないからだ。
自分でサイトを設けて、自作曲をアップロードすればよいのだ。
そういった曲を評価するシステムが新たに生まれるのは必然である。
これも時間の問題だ。
アーチストがサイトにあげた曲を評価するシステム、それは音楽配信事業のシステムの中に組み込まれてくる性質のものである。
配信事業者のサイトがこういった独立した音楽サイトのポータルサイトとして機能すれば、おのずと評価するシステムがついてくるはずだ。
配信事業者がアーチストを囲い込むのはこの場合ナンセンスである。
アーチストは独立したサイトであり、曲はそのサイトに存在する。
トラフィックとしての機能をポータルサイトに持たせれば十分である。問題はポータルサイトの差別化をどうするかということになる。
過去の経験則を克服できないレコード業界
これからの音楽業界は過去の経験則が通用しなくなるのは事実だろう。
それゆえ、従来この経験則で我が世の春を謳歌していた人には大変辛い時代になるかもしれない。
かってレコード協会は次のようなことを言っていた。
「コンテンツを握っているのはレコード会社ですから、われわれが協力しなければ、どんなシステムも単なる箱に過ぎません。昨年以降、音楽業界以外からもいろいろな形で提案がありますが、レコード会社としては、まだ、提案を本格検討する時期ではないと思っています。」
(1999.05.19 読売 BIT by BIT 海老原広報室長インタビュー)
当時はレコード協会が対応するのは2003年頃などと予測していたのである。
これは大いに誤りであった。
3年も前倒しせざるを得なくなると共に、自己の存在をつなぎ止めていた柱が徐々に浸水し始めてきているのである。
これはウサギとカメの話でいう、ウサギみたいなものだ。
自己過信そのものである。これも経験則至上主義の弊害のひとつだろう。
この項をしめるにあたって、簡単に私の予測を書いておきたい。
私は、業界の中でも芸能界自体ははさほど変化もせずに、このまましばらく続くと思う。そこには非インターネット世代のニーズがあるからである。
しかし、非芸能界としての音楽業界には新しい胎動がはじまるであろう。
今の音楽業界とは次元の違う世界がそこには生まれるはずだ。
インターネット世代が集うニュービジネスの世界でもある。
さて次回は、話題のナップスターやグヌーテラを取り上げ、21世紀の音楽流通について大胆に予測してみたい。
00.8.30 Kunio Abe
今回も付録付きである。
GLAYの連載なので外せないのだ。一応今回で終了。
人気も又諸行無常なのですね。
業界ワンポイント
アーチスト人気論「GLAY」の場合(第4回)〜人気三年説の中味〜
GLAYの最新シングル「とまどい」がシングルチャート1位に。まだまだ根強いですね。
でも、私にはちっとも魅力的な曲じゃないんですが。
それはともかく、前回書いた人気3年説の続き。
アーチストの人気というのが何年続くかは色々な説がある。
20年、30年と人気が続く人もあれば、1年足らずで消える人もある。
あまり、手を広げると1本の論文になるので、GLAY関連にとどめることにしたい。
GLAYが最初に人気を得た層は、いわゆるヤング層である。
ヤング層、つまり、中学〜高校〜大学のライフ・サイクルの中で、彼らは音楽に出合い、そして人格的にも成長していく。
これは音楽だけではない。
文化すべての受容過程で起きることである。
とりわけ、人格が家族から分離し、独立していく過程の中で得た文化の原体験(例えば、初めてロックを聞き、その迫力に全身が震えた等)は、その後のパーソナリティの形成に重要な役割を果すことになる。
私なら、これはビートルズ体験である。
中学2年に「ツイスト・アンド・シャウト」を聞いた時の解放感は今も譬えようがない。
ビートルズ至上主義は、高校時代迄続いた。しかし、その後半には、すべてが相対化できるようになっていた。
世の中はビートルズがすべてではない。彼らは確かに優れている。しかし、それは相対的に優れているということで、神のような絶対者ではない。
音楽にせよ、文化一般にせよ、その受容過程は、絶対化から相対化への流れの中にあるということだ。
極端にいうと、ヤングに支持されるアーチストは、常にこの絶対化から相対化される対象として存在することを余儀無くされる。
それゆえ、今はまだ、GLAYはファンから神のような絶対者として扱われ、何を言おうと、何を歌おうと全て無条件に受け入れられているのだ。
そして緩やかに時がたち、ファンはいつか自分の観念を相対化する中で、GLAYをも相対化していくようになる。
その時も、彼らが同じように支持され続けるかは、GLAYのその後の発展性にかかっている。
彼らが、自分達の相対的な地位を確立できなければ(たいてい出来ないのだが)、ファンは自然といなくなる。
後には祭の終わった寂しさがあるだけである。
つまり、ヤングはほぼ3年で成長するということだ。人気3年説の一端である。
ただ、ファン層は勿論入れ代わるわけで、本当のアーチストはこのファンの入れ替えにも成功したアーチストというわけだ。
GLAYがそうなるかどうかだが、バンドとしては難しいかもしれない。
何しろ、若いアーチストは自分達の中でも、この絶対化から相対化の流れが常に脈づいているわけで、バンドとしての絶対的な存在意義があるわけではないからである。
商品としては常に売れ続けてほしいと言うのが業界人の本音だろうが、生身の人間にそれを望むのは無理なのかもしれない。