インターネット感性論〜重いか、軽いか〜(2)
インターネットを最適化する為の指標として、前回提起した理論がインターネット感性論だ。
インターネットはそこで流通させるものが「重いか、軽いか」に左右される。
如何に軽くするか、それが最適化のメルクマールであると書いた。
重いものを軽くするというのはどういうことか。
圧縮技術などはその一つ。後はショートカット等による作業の合理化があげられる。
軽くする技術、それが圧縮技術
映像の圧縮技術の中で、動いているものだけを記録し、動いていないものは最初のイメージ以外カットするというのがある。
動いている(変化している)ものだけを送り、動かないものは送らない。それゆえ、送る容量は大幅にカットできるという。
圧縮というと、ギュッと力を入れて小さくするようなイメージがあるが、インターネットの圧縮はそうではない。
それでは、重さは変わらない。
送る量は小さくならなければならない。その為のテクノロジーの開発が命題なのである。
軽くする為の技術、それが圧縮技術だと思っていいだろう。
インターネット配信の核はシステムの最適化
さて、インターネット感性論である。
前回は、感性のおもむくままに感性論を語った為、ずいぶん乱暴な議論だと思われたようだ。
今回は理性的に書いた感性論である。
インターネットの音楽配信で重要なことは、システムの最適化であることは既に述べた。
コンテンツが最も重要だという主張はわからないでもない。
コンテンツを送るわけだから、コンテンツがなければ始まらないということだろう。
しかし、現在のインターネットによる音源配信で、ユーザーが一番望んでいることは、魅力的なコンテンツを手に入れることだろうか?
違うのではないだろうか。
配信初期、コンテンツのプライオリティはさほど高くない
魅力的なコンテンツはレコード店やレンタル店に行けばいくらでもある。
ユーザーは自分の持つパソコン(あるいは携帯端末)に、インターネットというテクノロジーを使って音楽をダウンロードをしてみたいのだ。
つまりトライして、どんなものかを確認したいということに尽きる。
音源は何でも良いとは言わないが、そこそこ面白ければ良いのである。
1)トライヤーの獲得→2)リピーターの確保→3)リピーターのロイヤルユーザー化というのがインターネット・ビジネスモデルの基本である。
今はまだトライヤーの獲得の段階である。
その為に、キラーコンテンツが必要という気持はわからないではない。
しかし、その前に絶対必要なものは、如何にコンフリクトを起さずに、ユーザーに使ってもらうかである。
リピーター獲得の阻害要因
コンフリクトを起したら、ユーザーは2度と戻って来ない。(リピートしない。)
ダウンロードのサイトにやってきたユーザーは、試しにこれを落としてみようかなと思った時、まず何を気にするだろうか。
ダウンロードの方法が複雑だったり、変な画面が出てきてユーザーに混乱を与えたり、ダウンロードに時間がかかったり、その間実際コンピューターが何をしているのかわからなかったり、そう、ユーザーが途中で厭になったり、飽きてしまったりしたら、このユーザーは2度と戻って来ないのだ。
ではどうしたらいいのか。
サクサク感がリピーターを生む
サプライヤーはユーザーにサクサク感を与えないといけない。
あ、とっても楽しい、とっても軽い、そしてダウンロードしたものは意外と聞ける、そう、お客様にこのプロセスで満足感を与えることが大事なのだ。(いわゆるCSですね。)
これが私のいうシステムの最適化だ。
キラーコンテンツに金をかける前にすることはいくらでもある。
インターネット事業で収益をあげるには、まず配信業者がこのサクサク感を顧客に与える方法論を持っているかどうかである。
成功していない配信業者は大抵このサクサク感をユーザーに与えることに失敗している。
コンビニや書店にダウンロードに行くなんて余りにも重くないか?
レコード店に買いに行く行為より、それは軽いか?
そこ迄して単なるトライヤーが音源を買うか?
マスコミはクレジットカードのリスクを声高に語っている。
セキュリティについても不安だけを理由もなく煽っている。
そんな状況を考えもせず、インターネットで音楽を配信して儲けようなんて無謀すぎやしないか。
最適なシステムの基本は感性的に軽いかどうかである。まず、それをわかってもらいたい。
さて、次回は具体的なシステム論に入ることにする。
予告していたサラリーマン社会の感性論については機会を改めて考証したい。
00.7.27 Kunio Abe
さて、今回も付録の業界ワンポイントをアーカイブしておきました。
GLAYを語ることによって人気アーチストの本質に迫ろうとしております。
もう一つ、編集後記も付録としてつけておきました。
東京時代の私のプロデュース番組をとりあげているので参考までに。
業界ワンポイント(その5)
アーチスト人気論「GLAY」の場合
先日ある人からGLAYは幅広い層から人気があるという話を聞いた。
老若男女から支持されているのがGLAYだということらしい。
そうなのだろうか?
私から見れば、GLAYは今の時代に人気があると思われても仕方がないアーチストというだけだ。
人気がある指標とは何か。
1)CDが売れること。2)ライブの動員力があること。3)マスコミ等への露出が多いこと
以上が主な所だろう。
他にも人気投票で上位だとか、カラオケで良く歌われているとか、キャラクターグッズが売れているとかがあるが、それは上記の結果みたいなものである。
GLAYは確かにCDは売れている。B’Zとk’arc〜en〜cielとのシングル同時発売競争で堂々の1位に入ったことにもそれは現れている。
売れる程の曲かという感想は私にはある。だが、強固なファン層を前にして私の辛口な批評は無力であることは否定できない。
ではGLAYのコアなファンとはどんな層なのかか。
一言でいうと、VISUAL系というブランド信仰者とそのフォロワー層である。(彼ら自体は脱VISUAL系を狙っているようだが)
この3年間程で形作られたのが上記のVISUAL系というブランド信仰者とそのフォロワー層によるマーケットなのである。
遡れば、BACKーTICKがいたり、X−JAPANがいたりするわけだが、VISUAL系等というブランドにまで高まったのはそんなに昔ではない。
LUNA SEAを手始めにラルクやマリス・ミゼール等が業界人が知らぬ間にメジャー化した。
その時の合い言葉がビジュアル系なのである。
そして、それがブランド化し、前述のバンドがそのカリスマに成長していったのである。
音楽性など、このブランドにはそれほど本質ではない。むしろファッションが重要であり、演奏形態がロックぽければそれでよかったのだ。
この辺りはビートルズ・フォロワーとしてのGSと構造的に同じである。ファッション優先であり、後はそれらしく見えればよいのだ。
こういったムーブメントを作り出すのを業界では「仕掛け」と呼ぶ。
魚釣りの仕掛けと構造的には似ている。
仕掛ける方は、どこに魚がいるかを熟知していないといけない。
次に、その魚はどんな餌を好むのか、どうすれば餌に食い付く気分になるのか、何時頃だと食いがよいのか等など。
それで飯を食うとなるとだれでもが必死になって仕掛けを作る。その結果が今の音楽界の人気者である。
ところが、業界には魚釣りをするのが好きだが、こういった仕掛けの知識も何もなく、ただやみくもに金をかけて仕掛けを作り、魚がいるかいないかもわからずに、針を落とす輩が次から次へと出てくる。
素人だから、ビギナーズ・ラックとやらで、変に大きな魚を釣る輩が少数だが出てくる。
ところが、こういう連中は何故釣れたかわからない。ただ、釣れたことに狂喜し、後はその金で、業界にしばらく君臨したりする。それからどうなるか・・・・・。
GLAYの話が少しずれかかってしまった。上記のビギナーズ・ラックがGLAYだと語っているわけではない。業界にはそういう例が多いということを言いたいだけだ。
さて、思わぬことで長くなってしまった。GLAY人気の本質についての私論は次回にさせていただこう。編集後記
事務所が先日の豪雨で雨漏りし、やっと慣れ親しみ始めたノートパソコンを直撃した。おかげで、現在わが愛機は電源も入らず、ずっと沈黙しっぱなし。壊れちゃったんでしょうね。情けないなあ。
というわけで、この原稿はいつものマックで打っています。メルマガの発行が遅れたのは、精神的ショックゆえです。
罰あたったのかなあ。
ところで、FM大阪東京支社時代、私がプロデュースした番組に「松浦有希の夕暮れ探検隊」というのがありました。そのリスナーが先日、同番組のデータベースを作りましたとメールをくれました。
大変な力作、とても懐かしく読ませてもらいました。
皆さんも興味があれば覗いてあげて下さい。
アドレスは
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/5268/data.htmlです。
サンデー毎日のバーニング特集はまだ続いているようです。
先週の神山典土さんの発言は正論でした。「理不尽なコントロールがバーニングが作ろうとする芸能界の構図。私達の使命はそこから自由になる戦いの中にある。」うーん、やはりジャーナリストなら論点はこうであってほしいです。バーニングの所業に文句ばっかり言ってても何の役にも立たないですから。