毎日、私の今年の方針を伝えるために、色んな人にあっている。
昔、営業時代にお世話になった人にも、今の私はこんなことを考えているんですよと説明して歩いている。
別に、何かを売りに行っているわけではない。
自分の考えていることをどうアレンジすれば商品化できるのかを質問して回っていると言っていい。
商品化の自信が生まれれば、そこから私の営業行為が始まるのだが、今はまだ道遠いという感じである。
ところで、そうやって街を歩いていると営業時代(30歳?34歳)の記憶が色々と蘇る。
その一つが表題の強迫観念である。
営業マンが評価されるのは、新しいものを一つでも売ることである。
すでに売ったもののアフターケアも大事だが、それでは会社には評価されない。
新しいクライアントを獲得したり、お得意からも更に売上を増やしてもらったりしないといけない。
そんなのは、月末に売上表となって客観的に出てくる。
売上が上がらなければ、どれだけ働いていてもさぼったとみなされてしまう。
毎週の月曜日、営業会議で先週の成果を発表させられる。
何もなかったものは、何もないというしかない。
一週間休んだものでも、何か言わないといけない。
休んでましたでは、すまないのが営業である。
昔、ある先輩がふてくされたように言った言葉が伝説として残されている。
課長が、「じゃあ、先週の報告を聞こうか」と発言を促した。
先輩いわく、「先週は何もありません。」
課長は烈火のごとく怒ったそうだ。
「何もないとは何だ、一体一週間おまえは何をしていたんだ!」
先輩は、知らん顔して、ずっと黙っていたということだった。
でも、こういうのって営業としては少しも嬉しいことではない。
やはり、売上を延ばしてこその営業、お客さんに喜んでもらいながら、自分もまた今月も個人のノルマを達成できたという満足があってこその営業なのである。
上司と喧嘩しても、何も楽しくはないのだ。
こんなことをしていると、月曜日の会議が苦痛になるだけだ。
それが、一週間すべてを苦痛にする。
このままではだめだ、俺は何て駄目な奴なんだ、などとイライラしていったい何のための人生なんだろう。
営業時代の4年間、私は確かに成績のよい営業マンだったとは思うが、売上をあげなくては、新規にクライアントを獲得しなくてはという強迫観念は常につきまとっていた。
あれから20年。
今もそれに近い強迫観念はある。
年をとった分、前よりもそれは肩に重い。
因果な性分の私である。
昔ほどのしつこさもなくなり、迫力には相当欠けるなと反省しきりの私、どんどん枯れて、やがて消えて行くのかもしれない、安部邦雄