今日はすき焼きを食べた。
100g700円の肉を買ってきて、青ねぎ、焼き豆腐、糸こんにゃくなどと一緒に煮込む。
1個50円の生卵につけて、頬張った肉は、やはりその値段にふさわしい柔らかさでのどを通って行った。
贅沢になったものだ。
子供のころ、すき焼きはとんでもないご馳走。
牛肉といっても、並ぐらいしか口に入らなかった。
並、上、特上と等級があったと記憶する。
そういえば、昔は肉の等級に「潜水艦」というのがあった。
何それ?と聞いたら、「潜水艦、つまり波(並)の下」と言うのだ。
くだらないトンチ話のひとつとして覚えている。
すき焼きには色々な思い出がある。
あるマンガで、金持の子供と貧乏人の子供の話があった。
どちらも同じ小学校に通うのだが、金持の子はいつも貧乏人の子をいじめていた。
クラスは皆、金持の味方。
お金がない家の子は、どうしてこんな風に虐められないといけないのか。
ついに母親が相手の親(会社の社長)の会社へ行く。
金持の親は謝るどころか、窓の外の電信棒を見て、「あの、電信棒に上ったら1000円あげるよ。」なんて言う。
母親は、子供がいつも「すき焼きが食べたいよう。」と言っていたのを思い出す。
1000円さえあれば、子供にすき焼きが食べさせてあげられる。
母親は決心したように電信棒に上る。
冷ややかに見つめる金持の親。
私は電信棒にしがみつく母親の夢見る顔が忘れられない。
電信棒にのぼることが希望の一つだったということだろう。
金持が貧乏人をいじめるマンガ、昔はたくさんあった。
貧乏がいかにみじめか、子供だった私の心にトラウマのように焼き付いたものだった。
今は、どうなのだろう。
すき焼きが食べれない家なんて、今の日本ではほとんどないに違いない。
憧れだった、ご馳走「すき焼き」。
今はおかずのワンオブゼムにしかすぎない。
これで不景気、生活できないなんて言っていたら、罰があたるのではないだろうか。
すき焼きについてはまだまだ言いたいことがあったが、精神的余裕が依然あまりなく、落ち着いたらゆっくりと書くことにする、今日のすき焼き、実は松茸も入れるつもりだったが、手配の都合で間に合わなかったのが残念だった、安部邦雄