平和というのは安全と同義語ではない。
気を抜いて良いわけでもなければ、人々が皆善意に満ちているというわけでもない。
とりあえず、共に生きるための最低の条件ということだ。
平和をこよなく愛するなんていうのは、それゆえその言葉のイメージするものとは実際は違うような気がする。
平和憲法が風前の灯火みたいになっている。
改憲派がじわじわ増えている。
古くなって耐用年数が終ったような制度なら、改めるのは当たり前だ。
しかし、今の日本国憲法が本当に今の時代に耐えられなくなっているのだろうか。
現実を追いかけていたら、段々理想とかけ離れてしまったということなのだろう。
だから、ここで一旦理想に戻るか、やはり現実の利益を追いかけるかの選択が迫られているのだと思う。
北朝鮮を見ろ、いつ何時、ミサイルぶっぱなしてくるかわからんぞ。
イスラムのテロリストを見ろ、いつ何時、罪もない人々を手前勝手な理由で襲うかもしれないぞ。
だから、憲法を改正しないといけない。
平和は、人々が生きる為の最低条件だ。
自ら、その最低条件を崩してまで、己の利益を追求して良いものだろうか。
イラク戦争なんて、どこかそんな感じがする。
日本としては、本来ほっておく、干渉しないのが一番よいはずなのだが。
世界のどこかでは今も紛争があり、無辜の民が意味もなく殺されている。
だけど、昔の日本もそうだったのだ。
戦国時代なんて、どれだけの民衆がわけもなく殺されたことか。
今の日本は平和だ、それでいいではないか。
日本が外国に攻められる?why?
北朝鮮なんか、分けわからんやつが多い。
拉致みたいな、理不尽なことをする奴らだ、これからも何をするかわからん。
う?ん、それもそうなのだが・・・
拉致というか、誘拐というか、そんな無謀なことまでして、北朝鮮って、本当に何をしたかったのだろう。
このあたりを、もう少し総括すべきではなかろうか、わが日本としては。
合理的な説明が絶対にできるはずと私は思っているのだが。
世界認識の共有化なしに、日本が軍事を優先する体制になりつつあるのが怖い。
有事を語る前に、議論が必要なのだと思うが、官僚の皆さんは民衆との対話が苦手というか、お嫌いなようだ。
不毛なイデオロギー論争になるのが見えているからなのだろう。
しかし、そんな論争にしないために、官僚はどんな方法論を持っているというのだろうか。
イデオロギー抜きに、日本の未来を語ろうとか、何か提起のしかたがあるだろうに。
平和は、国家が国民に保証する最低限の環境である。
今は、その保証も何となくやばいのが気になるのだが。
SARSにしても、頼りないのが日本の政府、脳知に走り、身体知をおろそかにしている官僚連中は、最終的にはほとんど当てには出来ないと諦めてはいるのだが、安部邦雄