昨日の更新は意外と評判がよかった。
上柴先生からは、もっともっと辛口批評を書けと励ましのメールをいただいた。
少し、上柴さんの意見を紹介しながら、今日はすすめてみたい。
私の、FM局はもっとイノベーターに向かって放送したらという意見への一言。
>そうそう...でもそういう人たちに目を向けさせるのは並大抵やおまへんわ。
テレビは10%以上という数字をとらないと話にならないわけだけど、ラジオはせいぜい3%もとれば大成功。
イノベーターを押さえるだけで3%行くはずだから、狙いはイノベーターで十分のはず。
外から見て活気があるように思えるのは、こういうイノベーターがついているから。
昔のFM大阪、10年ほど前の802がそうだったように。
上柴先生の意見を続ける。
>前にも言うたかも知れまへんが、今のおおかたのFMはコンビニ・チェーン店みたいなもんでんな。
以前は、百貨店であり、あるいは商店街みたいな、ねえ。
今や音楽に詳しい人、自分で何かおもしろい音楽を探そうかっちゅうような人...そんなお方はもはやラジオなんて聞かんと、CD店とか専門店、中古店なんかをこまめに回ってると思いまっせ。
音楽自体にイノベーションが起きていないのかもしれない。
単なる繰り返しになっていないだろうか。
評論家的に言うと、新曲に接して、あっこれは誰某のパクリ、流れ的には誰某のまね、安易に売れ線をなぞっているだけ、なんて感想がすぐに出てしまう。
早い話、評論に値しない曲が多すぎるのだ。
音楽はもはやトレンディ商品ではないのかもしれない。
フォロワーしか狙わない音楽業界では質の転換はありえないのだろう。
インディーズに少しでも期待をかけるのは、結局カウンターカルチャーとしての多品種少量生産という構造ゆえだ。
>以前は初心者もマニアックな人もFMを聞いてたんとちゃうかなあ。
両層が共存してましたわ。FMに何かを求め、期待をして。
FMを聞くのが何かちょっとした‘文化’に触れるような、ねえ。
サブ・カルチャー?...みたいな。
初心者はやがて熱心なファンになり、はては音楽&放送業界人として巣立って行く...!?
そういう人、80年代までは結構おったような(実例あり)。
CDは売れないけど、ライブは満員って、どういうことなのかな。
ライブ会場にはイノベーターが呼吸できるスペースがあるのではないだろうか。
CDやFM放送に象徴されるような世界って、息がつまって仕方がないというか。
田圃からおたまじゃくしが消えたように、農薬一杯の音楽業界には文化の芽は生えんということではないだろうか。
>近年は「誰もが耳になじみのあるヒット曲をできるだけ並べるように」というあれが局の編成側から出てるんですわなあ。
レーティング期間なんて、それこそ、ヘドが出るほど、同じような耳タコ曲ばっかりがタレ流されるありさまで、一番オモロナイ時期ともいわれてしまうし。「仕事ですからねえ...」と言う現場制作者のため息まじりのあれもよう聞いたもんやわ。
現場制作者から志を感じないのは何故だろう。
というか、金のないところには有能な制作者は集まらないのも事実。
金がなくとも、本当に自分を精一杯表現できて、毎日が楽しいという番組が作れるのなら、熱心な制作者も育つ気がするが。
毎日が楽しいという番組を作りたい、本当は皆そう思っているのだろうが、結局は大勢に身を任せて終りなのだろう。
ゲーム理論の基本「人は確実に利得を最大化するために意思決定を行う」わけですから。
>以前は、そのへんにある大衆受けするもんばっかり流してたら、「あいつら音楽のこと、何にも知らんのちゃうか??」ってバカにされてしまう気分が蔓延してたし?。
「わしらはちょっと違うで」というところを見せたくて、という気持ちがまず、あったわなあ。
「なんかおもろいことしたろ?」「誰も手をつけてへんことしたろ?」...スキあらば、と,そんなことばっかり考えてたように思いますなあ。
それこそ、イノベーターみたいな制作者が一目置かれてたか、と。
いまやったらそんなヤツはヘンタイか、反逆者扱いでんな。
そんな判断もないのではないか。
そんなヤツどこにもいない。
いや、いたとしても、相手にされない。
放送局は、そんなヤツ要らない。
>誰もが知ってる曲をたくさんかけたおして、あるいは有名歌手を強力な人脈のみでゲストに呼んで、それで数字を稼ぐヤツが一目置かれる。
音楽知らんでも(愛情が全く無くても)出世でける...そんなん、やってて楽しいか?
放送局も又営利企業であり、結局その時代に最大限の利益をもたらすものが優先される。
昔はイノベーターに支持されるような番組作りが重要だったけど、今はフォロワーしか相手にしないわけだ。
立会川にボラが大発生みたいなものを求めている。
しばらくしたら、ボラはいなくなるのは自明なのに。
でも、マスコミって、結局シンプルに、よりシンプルになっていっているのは事実だ。
単純化しないと、大衆はついて来ない。
テレビに最近やたら字幕が表示されるのも、その一環だと私は思う。
大衆におもねたシンプルさよりも、粋な人の琴線に触れるようなシンプルさが、FM局に欲しいと私は思うのだが。
古巣のことを辛口で批評するのは難しい、上柴先生、代わりに悪口でも告げ口でもいいから書いてみてもらえません、安部邦雄