島崎藤村の千曲川旅情の歌を折にふれて思い出す。
昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
最近は特にこの部分に気持ちが動く。
全く代わり映えしない日常。
その中で、充実して生きたという実感がまるでない。
仕事なんて、そう毎日毎日、進歩した内容のものができるはずもないのだが、同じことをただ繰り返しているだけのように思える時、何となく自分にうしろめたいものを感じたりするのだ。
もっと自分の時間を大切に生きないと、後に残るのは悔いだけだ。
2度とこの貴重な時は帰って来ないし、後でそれを追い求めても詮無いことは言うまでもない。
我が命、何をあくせく
明日をのみ 思い煩ふ
そう、確かにそうなのだ。
ただ繰り返すことに罪悪感を持ってみても、それは常に自分を正しい道に復帰させるわけではない。
ただ罪悪感だけがいつまでも残り、長い間に自分のプライドをぎたぎたにすることだってありえるのだ。
だから、今日も別に何もなかったでも、かまわないと思うべきなのかもしれない。
ある人が言っていた。
毎朝、起きた時、心の中から「ああ、自分は何て運がいいんだ!」と叫びなさい。
夜、寝る時も「ああ、今日も自分はとっても運が良かった!」と何度も言って床に入りなさい。
何もなかったのは、別に悪いことではないのだ。
毎日何か新しいことや、何らかの進歩がなかったらダメなのだと思うことは、心の健康には決していいことではない。
何もなかったことを喜ぶべきなのかもしれない。
誰とも会わず、誰とも口をきかなかったとしても、それはかえってラッキーだったのかもしれない。
結局、人は人と交わるから何らかの悩みを持つし、嫌な目にもあわないといけないのだ。
単純に引きこもるのは心の病だが、喜んで引きこもるのはその人の個性でもある。
自分を情けない奴だと思う前に、今いる自分を肯定することから始めよう。
ムスタキも「私の孤独」で歌っていた。
私は決して孤独じゃない。
だって、孤独という友達といつも一緒にいるのだから。
書いていて、はたと気づいた、今日は誰とも会ってないし、誰とも話をしていない、ひょっとしたら、朝からずっとテレビと会話していたかもしれない、これって個性と言ってすましてられる話なのかな、安部邦雄