昨日書いた携帯電話の話を思い出しながら書くことにする。
文字通り、私としては復讐編である。
とはいえ、誰に対する復讐なのだろうかね。
携帯電話の機能というと、まず第一に電話機能。
考えたら、私の家の電話、受信以外にはこの頃使ったことがない。
たまに、家にパソコン持ち帰ってネットに繋ぐ時に使うくらいだ。
電話をかけるとなると、ほとんどが携帯である。
ついでに言うと、街の公衆電話も1ヶ月に1回使うかどうかである。
駅の公衆電話も、ほとんど誰も使っていない。
隔世の感がありますねえ。
何故使わないのかというと、携帯電話があるからと答える人が多いだろう。
それはその通りなのだが、一番の理由は、ダイヤルするのが邪魔臭いからではないかと思う。
公衆電話をかけるためには、電話番号を引っぱり出してきて、その通りにダイヤルする必要がある。
前はこれが当たり前の作業だった。
電話というのはダイヤルして使うものだった。
ところが携帯はダイヤルからユーザーを解放した。
ワンタッチで電話できるのである。電話番号なんて覚えている必要もなければ、相手から聞いて書き留める必要もない。
近頃、新しくつきあう人の半分ぐらいは、相手からの電話を受けて登録した番号である。
だから数字なんか一度も認識したことがない人も多い。
携帯がなければ、電話のかけようがない相手ということになるのだが、全く意に介していない自分がいる。
携帯を失えば、途端にパニックに陥るのは目に見えているのになあ、とは思うのだが。
ま、そういうことで携帯のラクラク感と比べて公衆電話はただ邪魔臭いだけになる。
撤去されて行くのは、仕方がないご時世なのである。
せっかくIC電話を開発したのに、全く普及しないままになりそうですね、NTTさん。
第二の機能、御存じメール機能。
電車の中や、ホームで携帯電話をじっと見つめている人の何と増えたことか。
一人でいると、電車の中はたいてい時間を持て余す空間である。
ヒマを埋める為に、大抵の人は、新聞や雑誌を読んだり、ウォークマンで音楽を聞いたりしていた。
そこに携帯のメール機能が登場した。
手軽にヒマがつぶせる、それも人とつながっていることが感じられるハートウォームなツールの出現である。
ゲームボーイが甚だハタ迷惑な存在だっただけに、周りの人間にとってもメールをじっと見つめていたり、指をカチャカチャ動かしているぐらいは、まあ大目に見ようと言う気になる。
しかし、その分新聞や雑誌の売上って減っているのではないだろうか。
音楽CDの売上が携帯によって激減したと言うのはよく話題になるが、それならキオスクの新聞雑誌の売上も減っていてもおかしくない。
今までは電車の中が手持ち無沙汰だったから、暇つぶしに新聞や雑誌を買う気になった。
今や、車内の自分はそこそこ充実しているとしたら、態々金出してまで新聞雑誌を買うだろうか。
ほとんどマスコミでとりあげられていないので確かなことはわからないが、そんな現象が起きていても不思議ではないと私は思う。
第3に、写メール等に代表される撮影機能。
auなどはムービー携帯が話題になっている。
確かに、新宿のプロムナードとかサッカー競技場などで、携帯電話を使って記念撮影している姿をよく見かけるようになった。(といっても、みんな若い子、特に女の子が多いが)
いつでも、フィルムの要らないカメラを持っているわけだから、きっと便利だろうな、と思う。
そのうち、使い捨てカメラは携帯にとって替わるかもしれない。
そういえば、前程使い捨てカメラをスーパーなどで見なくなったなあと思うのだがどうだろう。(前はヨドバシカメラなどで山積みされて売っていたのに)
これもフィルム業界が何も発表しないので、よくわからないところだ。
第4が、現金決済機能。
自動販売機を携帯だけで使える実験が始まったらしい。
私は一度もその機械をみていないのだが、使った人はどんな印象を持っただろうか。
北欧ではもう実用化され普及しているらしいが、こうなると携帯電話って、絶対無くせない存在になりそうだ。
(財布の価値と同じになる。とすると、未来のスリのターゲットは専ら携帯電話になるかもしれないね。)
携帯電話の決済機能でいつか使うだろうなと思っているのが、新幹線の予約である。
専用のクレジットカードを使えばのぞみが500円も割り引かれるというのは、ちょっと使ってみようかという気にさせる。
どうやってチケットを手に入れるのか、経験がないのでわからないが、ま、そんなに複雑なものではなかろう。
それで思い出すのが、飛行機の予約だ。
近頃は、専らパソコンで予約し、チケットレス決済を行う。
後は、空港に行って、マシーンで自分の席を自分で選んでチケットを発行するだけ。
電話で航空会社に予約を入れたり、旅行代理店にチケットをとりに行くような邪魔臭いことはしたくない。
これも、あまりマスコミは取り上げていないが、ネットによるチケット予約の伸びは相当なはずである。
近頃、私の周りの人間もほとんどマイレージのカードを持って、パソコンで予約登録を行っている。
つい1年ぐらい前は、私ぐらいしかレギュラーで使っている人はいなかったのにと思うと、こちらも驚くばかりである。
とまあ、これぐらいまでを昨日の更新で書いたはずである。
そして、リセットボタンを押すとともに、あっという間に雲散霧消だったわけ。
文章はもっと瑞々しかったはず。
かえすがえすも惜しいなあ。
パソコンというと、近々会社の銀行決済をすべてネットで処理する予定にしている。
現金を手に入れる為には、銀行に行くしかないが、会社の業務は、ほとんど振込業務であったり、残高確認業務だったりする。
一々、銀行に行かなくてもよくなるのは大変ありがたいし、自分の使い慣れたパソコンの操作で業務が完了するのもストレスがかからなくていい。
やはり、銀行の使い慣れないATMを使うよりも、自分のマシーンを使えるのはシンプルでよいのだ。
パソコンと言うのは、その作業内容は複雑多岐だが、キーをパンチングしたりマウスを動かしてクリックする動作というのはどういう作業にも共通。
つまり、シンプルゆえにストレスがないのだ。
今までは使い勝手の悪いことを、相手(供給側)の都合に合わせる形でやらされてきた。
ネットの時代は、もうそんな供給側の勝手につきあわされる必要もなさそうだ。
これからは消費者主権の時代がやってくるはずである。
そういう意味で、携帯電話を象徴とした消費者復古の時代は、必ずや一方的な供給側の論理、あるいは為政者達の画一化した論理を撃ち破る形で花開いて行くことだろう。
やっぱりこれも、1つの復讐と言うことになるのかな。
ちょっと長い文章になってしまった、読み直している間に消えてしまうのが怖いので、推敲しないでこのままアップしてみる、安部邦雄