インターネットを活用するという思想に受け身的発想はあるだろうか?
いきなり何を言い出すのかと思われるかもしれないが、意外と重要なことのような気がする。
パソコンとテレビの違いにもう一度着目してみよう。
テレビは典型的な受け身メディアである。
ぼーと見ていたら、流し込むように情報が流れてくる。
ただ流れてくるだけでは、退屈なだけで、誰もテレビを毎日見ようとは思わなくなる。
テレビは、かってとても退屈なメディアだった時代もあるはずだ。
テレビの草創期には、インターネットが今直面しているように、これと言ったコンテンツもなかっただろう。
受像機の絶対数も少なかったから、コンテンツを新しく開発するのも限度があった。
日本では、NHKという準国営テレビがあったから、まだ国の費用を使って設備費やコンテンツ制作費などが出たし、コンテンツ不足のほとんどをアメリカに求めることも可能だった。
とすると、アメリカのテレビはどうやってコンテンツを調達したのか、ということになる。
ここがアメリカの偉大なところである。
日本人にはとても出来ない所業だ。
アメリカ人にとっては、新しい技術を開発することと、その技術を商品化することが常に一体となって進行する。
技術というと、ハードなものを日本人は連想しがちだが、アメリカ人にはハードもソフトも頭の中では同じ位置を占めるようだ。
ハードとソフトが相互にフィードバックしながら、両者の地位を高めあう、そんな感想を私は強く持っている。
日本では、そんなフィードバックは顕著ではない。
まず技術ありき、その技術を使う為にソフトが後からついてくるという構造だ。
この発想では、常にソフトは技術の後追いをするしかない。
ハードとソフトの開発を同時に進行させると何がよいのか?
一言で言うと、投資費用が調達しやすくなるということだ。
ハードに投資することと同時にソフトに投資する発想が産まれるのだ。
ハードを作ったから、誰かソフトを持っておいでというのが日本の発想。
インターネット・ビジネスなんか、そんな発想で満ちあふれている。
コンテンツなど全く考えずに、音楽配信事業への投資が始まる。
リキッド・オーディオ・ジャパンとか、ミュージック・デリとか、デジ・キューブとか。
あげく、コンテンツホルダー(レコード会社)からコンテンツの供給を拒否されたりして、ビジネスモデルがぼろぼろに。
アメリカのインターネット・ビジネスと偉い違いだ。
何故に、アメリカにナップスターが生まれたのか?
何故に、あっという間に何百万人のユーザーが集まったのか?
彼等は、ハードとソフトを別々に考えたりしないのだ。
だから、投資家もハードに投資すると同じだけソフトに投資するモーチベイションが働くのだろう。
日本は実にいい加減。
何もわからない連中が、アメリカがそうやっているからと言う理由だけで、ITベンチャーに投資している。
ハードとソフトが不可分であるということも、頭では分かっているはずなのに、行動が伴わない。
変な話だ。
どうも、まともな金の使い方を知らないんだなあ、日本人って。
さて、最初の話にそろそろ戻ろう。
ハードとソフトが何故分離するかというと、どこかに受け身の思想があるのではないかと思う。
ハードを作るものは、ソフトができてくるのを待ち、ソフト屋はハードが整備されるのを待つ。
ところが、どちらも相互に理解し合えていないから、受け身だけでは、ミスマッチングな状況を多発させてしまう。
そう、今のインターネット・ビジネスの失敗の原因のほとんどが、このハード屋とソフト屋のミスマッチングなのだ。
え?と、又話がずれかかっているのだが、上記のことは一応考えついたこととして、ここに記しておくことにしよう。
あの?、最初のテレビの話ですが、テレビを見る人はほとんど受動的で、インターネットを見る人は、より能動的だという話をするために書きはじめたもの。
なのに、全然話が違う方向に。
ま、今日もGWの中ですし、明日以降、もう少し話も練れてくるはずですから、とにかく今回はこんな感じでアップしておきます。
私としては、いい線行きはじめているのですが、皆さんに伝わるかどうか、よくわかりません。
どうも、まだまだシンプルというわけには行かないようで。
何故、日本人はソフト的にアメリカに負けるのかというと、それはハードと不可分でないから、というのが、今日の小さなテーゼかな、安部邦雄