隔世遺伝ということを初めて知ったのは、いつ頃だったろうか。
一番覚えているのは、ダリの絵である。
サルバドール・ダリの絵に「雨後の隔世遺伝の痕」というのがあるのだ。
やわらかな曲線をもつわけのわからないものに、二股の突っかい棒があり、その下に老人と子供がいるという構図である。
いかにもダリの書いた絵というものだった。
隔世遺伝か、つまり孫がお爺ちゃんの気質を受け継ぐことなのかな?
一度消えてしまった性質が再び何かのきっかけで蘇ると言うことらしい。(いわゆる劣勢遺伝なのだろう)
私がダリを知ったのは中学3年の時だったから、隔世遺伝と言う言葉を覚えたのもその頃だったと思う。
しかし、ダリは私には衝撃だったなあ。
中学校の美術の教科書には例の「記憶の不滅」があった。
え!?と心の底からわきあがる異様な感情に襲われた私だったが、その時の美術の先生がついでに他のダリの絵も見せてくれた。
うっわー、何だ何だ、この絵は!
そこから、丸坊主の中学3年生がシュールレアリズムの世界へ、まっ逆さま。
しかし、あんな世界にのめり込んでしまった為か、もうその後、どんな権威も信じられなくなって行った。
ゴッホだとか、マチスだとか、ルノワールだとか、そんな絵をありがたがる奴の気が知れん。あほちゃうか。
15歳の舞い上がった青二才の心情もかくやあらんという体たらくだったろうな、今から考えると。
ダリの話は、又書くことが思い浮かばない時にでもとりあげることにして、今回は隔世遺伝の話。
といっても、生物学の話をしようというのではない。
近頃の若い世代を見ていると、この隔世遺伝という言葉を思い出してしまうのだ。
何しろ、近頃の若い世代が、マンガチックなほど右傾化しているのに驚いているのである。
保守化というよりも、保守反動化というべきか。
だいたい、歴史学者でもない西尾幹二氏の書いた「国民の歴史」が何故かベストセラーになったり、小林よしのりが一部を執筆したと言われている扶桑社の歴史の教科書が平積みされたり、「戦争論」という粗雑な歴史漫画がバカあたりしたり、一体何で若い奴はこんなちゃっちい世界観に共鳴するんだろうと思ってしまう。
で、思ったのだ。
これは隔世遺伝だと。
祖父の世代と言うと、おそらく戦争世代であろう。
神国ニッポンを信じ、天皇のために死ねと教えられ、日本民族が世界で一番優秀な民族であるなどというマインドコントロールにどっぷりつかっていた世代である。
今の北朝鮮の状況をきっと笑えない。
戦前の日本は、きっとあんな状況だったんだろうなと思いをめぐらしたりする。
で、その孫の世代に、再び忘れられていた神国ニッポンの幻が復活しはじめているのではないかと思うのだ。
心理学的に言うと、反動形成といえるかもしれない。
つまり、親の世代(団塊の世代)が全共闘運動にのめりこむのは、祖父の世代への反動形成だったのかもしれない。
若者が共産主義に憧れるのは、その純粋な正義心ゆえなのだろうと勝手に判断していたのだが、単純に親の持つ世界観に反発していただけではないだろうか。
そう考えると、その団塊の世代の息子が、父親に反発して形成される世界観と言うのは、結果的に先祖返りしただけということになるのかもしれない。
薄っぺらなマルクス主義に関する知識を恥ずかし気もなく開陳して、精一杯背伸びをしていた全共闘。
そして、漫画に書かれたことを、おうむ返しに言うだけで、いっぱしのデマゴーグになれたと錯覚している、団塊の息子達。
2chなどの、政治の掲示板等を見ていると、こいつら世の中なめとんのちゃうか、と何度も思うのだが、しかし、考えたら、我々全共闘世代も十分世の中なめていたわけで、どちらが正しいとも言えそうにない。
ただ、全共闘世代の幸せなことは、その依拠する文献の豊富さだろう。
いわゆる左翼イデオロギーは、その豊富な偉人の考察によってきわめて豊饒な世界を形作っている。
対する右翼イデオロギーはどうだろうか?
小林よしのり「ゴーマニズム宣言」?
「諸君」?「正論」?「文芸春秋」?
御愁傷様です。
もう少しまともな叡智を育まないと話にならないですね。
やはり、歴史の重みが違うんでしょうね。
3週遅れのトップランナーとでもいえばいいんでしょうか。
でも、こういう世代が力を持ちはじめると言うのも何だか怖い気もします。
日本が又はずみで泥沼の戦争にはまり込んで行くのだけは、阻止しないといけないなと思う今日この頃の私です。
小林よしのり「戦争論2」もひどかったなあ、プロバガンダであることに本人が無自覚なのがちょっと不気味な、安部邦雄