新聞の価値が下がっている。
速報はテレビ、詳細はネットで情報を受ける時代である。
新聞はテレビやネットと違って常にそばにいるわけではない。
そのくせ、月額4000円近くも購読料をとる。
そろそろ不要なのではと、私は思いはじめている。
朝、起きて食事をしながら新聞を読むのが楽しみの人もいるし、電車の中で日経を読むのが日課という人もまだまだ多い。
しかし、これだけは確実に言える。
夕刊は、絶対にいらない。
文化情報は、朝刊に掲載しても罰はあたらない。夕刊なんかなくても、何にも困らない。
では、何故夕刊は発行され続けるのか?
廃止すれば営業売上げが確実に減るからである。売上げが減れば経営問題になる。
合理的に言えば、夕刊は不要。ただし、営利的にはまだまだ重要なのだ。
経済合理性が働かない限り、廃止されるわけはない。つまり、客が買わない、広告が入らない、売上げががた落ちと言う結果が現実とならない限り、だ。
夕刊の発行を止めれば、パルプの消費量も落ちる。輸入量も減り、針葉樹林の過度な伐採もなくなる。環境問題にも好影響が出て、万々歳となるはず。
夕刊を買うのをやめよう。新聞社が夕刊を発行するのをやめるまで。
夕刊非買運動!どうだろう、ちょっと考えてみては。
そういえば、最近の新聞、どこかおかしいことが多い。
2chの掲示板にぼろくそに言われる新聞、憲法改正とか国の政策を編集部で勝手に決めて啓蒙活動する新聞、教科書まで作りはじめた新聞、全然目立たない新聞、などなど。
差別化をはかった結果とはいえ、ジャーナリズムって、こんなものでしたっけ。
長野県の県庁から追い出されたのも、記者クラブという既得権に胡座をかき過ぎていたからで、結局自業自得そのものではないか。
報道の自由とか、為政者による言論統制だなんて、何を寝ぼけた反論をしているのだろう。
大体、記者クラブなんていうのが、特権階級のサロンではないか。(私も参画していたことがあるので偉そうには言えないが)
もう、新聞なんかいらない、と本当に私達は思いはじめているということに早く気付いた方がいい。
いつまでも、大衆が新聞の味方だなんて思う方が間違っている、そうでしょ?
でも私は東京新聞のファン、安部邦雄