こういう鬱陶しい季節が来ると、「空と海と太陽」が恋しくなります。
フランスのシャンソンに「空と太陽と海」"LE CIEL, LE SOLEIL ET LA MER"という曲がありますね。
フランス人のヴァカンスの三種の神器を歌った有給休暇讃歌なんてコメントが書かれていたりしました。
「イリア・ルシエル、ルソレイユ、エラメール?」歌っているとなかなか気持ちのいい歌です。
元々はフランソワ・ドゲルトのヒット曲でしたが、ポール・モーリアとかレーモン・ルフェーブルの演奏ものも私のお気に入り。
この歌の世界は、やはり地中海とかエーゲ海あたりのまばゆいリゾート地をイメージしているのでしょうが、私にとって「空と海と太陽」が一番似合いそうなのは、やはり沖縄かもしれません。
それも石垣とか宮古あたりの八重山諸島あたりでしょうか。
一度だけ竹富島(星の砂で有名)に渡ったことがあるのですが、あいにくの曇天にもかかわらず、砂浜は不思議な広がりを私の前に見せていました。
それと、砂浜一面に丘ヤドガリが無数に蠢いていたのにビックリ。
踏まないで浜を歩くこと等できそうになかったですね。
その時は、何人かで海水浴に行った為、砂浜でボーとし続けるのは無理でしたが、私は「空と海と太陽」さえあれば、後は何にもいらない、ご飯何杯でもおかわりできる(?)ような気がしています。
一番、ボーとしていた時のことを思い出しました。
学生の頃、高知県の甲浦(かんのうら)に塾の臨時教師として夏休みだけ行っていたことがあります。
月?金の6時ぐらいから、9時ぐらいまで、中学1年?3年までを教えていました。
それぞれ1時間ずつです。
曜日によって、教える科目が違ったと記憶しています。
ほとんどが女子生徒。
何か毎日、こちらの表情を盗み読みされていたような気がしていました。
鬱陶しいので変な交流は一切しなかったけど、毎日どこかで監視されているような気にはなったものです。
何しろ、小さな漁師町。(甲浦は今はサーフィンのメッカになったので、少しは賑やかになっているようですが)
私の毎日やっていることなど、町の中では筒抜けだったでしょう。
しかたがないので、私は朝の授業(途中で近くの医者の娘さんが評判を聞きつけてか、個人教授に来ていた。高校生だったので、こちらはちょっときつかったが)を終えると、夕方までずっと海岸でボーとしていた。
食事は、朝と夜は塾を主催している人(農家)の家で出してもらっていたが、ご飯はあってもおかずがほとんどない。
何もなしでご飯は食べられないので、私は毎日腹一杯になることはなかった。
お腹がすくと、近くのよろず屋でソーセージなどを買って食べていたが、これもあまり大っぴらにやっていると、ご飯を食べさせてあげているのに、何ていやしい先生だろうと思われかねないので一苦労。
夏目漱石の「坊ちゃん」の苦労がよく分かった次第である。
結局「空と海と太陽」さえあれば、何杯でもお代わりが可能というのは嘘であったというわけだ。
しかし、今でも時々思うのだが、この時の授業料、誰からも一円ももらっていないような気がするのだが、一体誰の懐に入ってしまったのだろう。
それとも、あの時の飯代、宿代(一軒家にひとりいた)と相殺ということだったのか。
30年前の話、今さら誰にも言えないことであるが・・・。
ということで、今日も比較的にさらっとした印象記で終ってしまった。
何か、昨日今日と、理屈ぽい話はしたくなかったもので。
あ?あ、沖縄本島でいいから、ちょっと行ってみたいなあ。
仕事は今が正念場なのだが、そんな時に限って逃げ出したくなるのは、性格が弱いせいなのでしょうかね、安部邦雄