しょっちゅう引っ越しばかりしているという人がいる。
ちょっと気に入って、引っ越ししたものの、何がしか不満が出て来て、又引っ越したくなるらしい。
おかげで、荷物がいつもパッケージされたままになり、中をあける間もなく、次のところへと引っ越しになる。
本とか、服とか、毛布類とか。
そりゃ、パッケージになったまま置いてあれば、引っ越しが苦にならないのはわかるような気がする。
引っ越し貧乏と言う言葉もあるように、その度に何がしかの金がいるわけだから、ちょっとは我慢すればいいのにといつも思うのだが。
東京は特に、2年毎に更新料を取るので、とりわけ引っ越すきっかけになるらしい。
大阪は、一度契約すれば、どちらかが言い出さない限り契約は継続したまま。
こちらの方が合理的だと思うのだが、不動産屋が更新料をあてにしていることや、住人がしょっちゅう変わって、その度に礼金が入ってくるので、貸し手側が更新ルールをやめられなくなっているようだ。
東京人はエゴイストというか、とったらもぎ取りというか、本当、自分のことしか考えていない。
困った人種だとつくづく思うが、ま、今日はそんなややこしい話を書く気はない。
私は、生まれて50年余り、今までの引っ越し回数(関西風にいうと宿替え回数)は8回である。
東京に来てからも家は3回変わった。
今の浜田山の家が一番長い。
今年で9年である。
払った家賃とか更新料が既に2千万円近くになっている。
買った方が安かったような気もするが、入った時はまだバブルがはじけはじめた頃なので、結局は損をしていたはずだから、これで良かったのだと思っている。
そろそろ、引っ越そうかな、と思いはじめてはいるのだが。
しかし、何度やっても引っ越すというのは大変だ。
手続きが何やかんやあるし、公共料金の精算はしないといけないし、荷物のパッケージングとか部屋の清掃とか、近所の人への挨拶とか、考えるだけで萎えてしまう。
本当に、しょっちゅう引っ越す人は、こういうことが苦にならないのだろうか?
まあ、でも、私の性格から言って、本当はさすらい人のような生き方に一番憧れがあるのだが。
島崎藤村の「千曲川旅情の歌」なんて、魂が震えるような感動があった。
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む
そうだ、そうだ、草枕でしばし慰むのだ。
昔、つきあっていた女性が、私があまりにはっきりしないものだから、手紙にいやみたらしく書いて来たことがある。
「人間には狩猟型と農耕型がある。あなたはどちらでもない、さすらい派だ。」
折しも、シューベルツの「さすらい人の子守唄」が流行っていた。
♪ふるさとの あの丘に もう帰れない 今はもう 帰れない?
そうか、わが愛する奈良の丘に、私はもう帰れないのかもしれないなあ。
ま、いいか、もうそろそろ12時だし、早く家に帰って、子守唄でも聞きながら、遠い故郷の夢でも見ることにしよう。
おやすみ?
やっぱり、W杯決勝戦は順当にドイツ対ブラジルになりましたねえ、で、勝つのはやはりドイツかな、安部邦雄