日本の人事政策というのは、基本的に減点主義なんだそう。
減点主義って何だろう?
人間は基本的に平等であり、その人の属性や能力がどうあれ、処遇に差をつけてはいけない。
ただし、その人が誰の目から見てもマイナスな行動、マイナスな存在である場合は、一定のペナルティを課すこととする。
つまり、その人の評価は、能力でも実績でもない、何かマイナスになるようなことをしなかったか、になる。
ただし、能力とか実績が全く評価されないわけではない。
それ自体が、あまりに他の人の能力とか実績とか以上に卓越していれば、その人は神と言われたり、英雄と言われたり、天才と言われたりして、集団から祭り上げられることもある。
つまり集団の単なる構成員ではなくなる。
よって、その人に減点主義は働かない。
う?ん、以上は単なる思いつきだけど、ちょっと当たっていそうな気がするなあ。
会社で出世するにしたって、個人主義ではなく集団主義をとっている日本文化では、どうしても減点主義が基本になるのはしかたがないのかもしれないl。
集団主義というのは、下手すると衆愚主義になるし、今はやりのポピュリズム(大衆迎合)になったりするようだ。
しかし、世の中が平和で安定していたら、一番良いシステムというのは集団主義かもしれないなあ。
減点主義でもよい、皆の間に待遇の差はつけてはいけない。
小学校の運動会で徒競走禁止とかいうのも、なるべく学校の中だけは、平和で安定させておきたいという教育者側の願望なのだろう。
悪平等と言うのは、集団主義の否定、個人主義礼讃的な主張の1つだといえなくもない。
しかし、こんな奴を会社のトップにしていいのか!
株主総会真っ盛りの昨今、こんな声があちこちから聞こえてくる。
減点主義を勝ち抜いて来たサラリーマン社長に、IT革命の時代を戦い抜くリーダーシップがあるのか?
結果はこれから出るだろう。
日本的集団主義を否定するのがトレンディみたいになっているが、その論拠が常にアメリカンスタンダードなのが気に食わない、もっと文化人類学的な視点が必要ではないかとひとりぶつぶつ言っている、安部邦雄