昨日の続きと思ったが、我が身を苛むのも適当にしておかないとと考え直し、今日は軽い話題を選んだ。
更新する時間もせまっていることだし。
梅雨のイメージというと、もちろん雨とか傘とか雨具とかだったりするわけだが、もう少しロマンチックにとなると、紫陽花とかカタツムリだとかアマガエルがのどをふるわせている光景なんかがよさそうだ。
そう言えば、近くの公園に何故か今年はヒキガエルが多いような気がする。
雨上がりの夜に、じめっとした道を舗装路を歩いていると、決まってじっと動かないヒキガエルと出会う。
あちらに1匹、こちらに1匹。
本当に動かない。
ケツを足先でつつくと、やっとのそのそと動く。
彼等は、とっくの昔にジャンプすることをやめたのだろうか。
やめとこ、じゃまくさい。第一、身体もえらいしな。
そんな彼等の1匹1匹の意志が、今の動くことをためらうヒキガエルを作ってしまったのだろう。
何か人間もそのうちこうなるかもしれない。
動きたくない、邪魔くさい、何もしたくない、おれのことなんかほっといてくれ。
そんなこと言ってる奴らは、きっとみんなヒキガエルみたいな顔になるぞ。
千と千尋の神隠しに一杯出て来た、カエルの使用人みたいになって、一生こき使われるぞ。
それでも、邪魔臭いから動きたくない、なんて言えるか?どうや?
何の話だ、誰に文句言っているんだ、私は。
公園通りには、30センチ程のミミズもよく這いずり回っている。
何故、こんな物騒なところに出て来るのだろう。
土の中に逃げようと思っても、まわりはコンクリートで固められている。
哀れ、ミミズ君。
周りの状況を認識出来ないから、こんな哀れな姿をさらさないといけないんだよ。
普段から、何をしないといけないか、毎日考えるべきだったんだ。
ぬくぬくと土の中で惰眠をむさぼっているから、ある日気がついたら、こんな逃げ場のないアスファルトの上をさまよわないといけなくなるんだ。
今頃、気づいてももう遅いけどね。
はて、私はミミズに言っているのか、それとも・・・。
昔、梅雨はお百姓さんにはなくてはならないものだとよく教わった。
雨は鬱陶しいけど、この時期に雨がないとコメは育たない、お百姓さんにとっては、梅雨はとっても大事な時期なのよ、そんな女の先生の言葉が聞こえて来そうだ。
今や、コメなんか少々不作の方が幸せかもしれない。
本当、こんなにコメばかり作ってどうするんだ。
いつまでも、作ったら買ってもらえるなんて思うんじゃない!
農水省の役人も心の中で思っていることだろう。
農家への助成のしかたも問題が多すぎるようだ。
農地を持っているものは、できるだけ働くな。
その分、国が補助してやる。
野菜などは、作ってもイイが、とにかくコメだけは作るな。
何にもしないのに、国から金をもらうようになると、たいていの人はモラルハザードを起こす。
緊張感がなくなれば、人間は堕落するものだ。
鈴木宗男氏のまわりに群れ集まった連中が、うさん臭く見えるのは、結局、堕落した象徴だからかもしれない。
雨は何故必要か?
後は、大都市への水ガメが干上がらないために、一定量の雨はどうしても必要ということになる。
ダムの利水の部分として、よく話題に出て来る。
確かにダムはそういう意味ではあったほうがいい。
これ以上必要かどうかは、私にはわからない。
ただし、少なくとも大都会とは無縁の長野では、こういう水瓶的なダムはいらないだろうな。
来週ぐらいになると、梅雨はあけるそうである。
エルニーニョ現象が現れていると天気予報士が話していた。
今年はどんな異常気象がこれから起こるのだろうか。
できれば、あんまり暑くなってほしくない。
そこそこの日射し、そこそこの夕立ち、そこそこの心地よい風。
そんな2002年の夏であってほしい。
今日、ある人からインターネットのグリーティングカードが来た、ずっと雨が降っている動画つきだった、梅雨が開けてからでいいのにとついぼやいてしまった、安部邦雄