というわけで、今日は一日中清里高原にいました。
大学時代に一度だけ行って、それ以来ですから約30年ぶりになります。
さすがにそれぐらいの日時が経つと、記憶の中の清里とはずいぶん違っていました。
当時の清里も若い女性に人気のスポットでしたが、今の喧騒はそれ以上でした。
駅前は、いわゆる軽井沢化していて、しゃれたお店が一杯。
私の記憶では、駅前なんてちょっとした土産物店しかなかったはず。
地味なイメージしか残っていませんでした。
その時にとまったユースホステルにも行って来ました。
いつのまにか、YHの前には広いバイパス道路ができていて、どうしても私の記憶と一致せず。
重いキスリングを背負って、駅から歩いた道はどこへ行ってしまったのでしょう。
YHって、昔の若者の旅には必需品でしたが、今はどうなのでしょうか。
ペンションと同じようにしか扱われていないのでは。
もちろん、私の頃にはペンションなんて概念は全くありませんでしたが。
昔と全く違うところ、それは必ず駐車場が完備されていること。
駐車場のないユースホステルでは、きっと客は来ないのでしょう。
駅から清泉寮の方へ登ってみました。
タンデムに乗ってサイクリングした道です。
タンデムというのは、おわかりだと思いますが、2人でこぐ自転車のこと。
2人でこぐのだがら、坂ぐらい登れるだろうと思ったのですが、これは大間違い。
前に乗るのと後ろに乗るのは、疲れ方は倍違います。
私は、つれを後ろにして、前に乗っていたのですが、登りに無茶無茶疲れました。
後ろを振り返ると、平気な顔をしてこいでいる。
おかしいな、私がこんなにしんどいのに、どうして後ろはそれほどでもないのだ?
しばらくして気づきました。
これは、ベクトルの問題なのだと。
前でこぐ人間は、自転車全体と後ろの人間の体重を引っ張りあげないといけない。
うしろがサボればサボるほど、荷重は増すのです。
そりゃ、疲れるわけです。(つれがさぼっていたわけではなくとも)
当時は清泉寮の周辺は、草原になっていました。
下から上まで、ずっと見通せていたのですが、今はまわりは植林されて、見通しはほとんどありません。
何故か清泉寮自体も、前よりも敷地が広くなっていました。
相変わらず、牛乳が売られ、ソフトクリームが人気でしたが、当時の静かなたたずまいは今は全くありませんでした。
ま、これぐらい車の量が増えれば、静かな観光地など存在しなくなるということでしょうか。
ペルセウス座流星群は、肝心な時に曇って雨が降り出したため、結局見れませんでした。
今夜に期待しましょう。
清里高原は、北に八ヶ岳、南に富士、西に南アルプス、東に、ええと、東に、うーん、これといった山がみあたらない、あ、そうか御巣鷹山はこちらの方角か、17年前の記憶が甦るなあ、安部邦雄