最近、若い女性の間で股上の浅いパンツが流行しているようだ。
股上が浅いとどうなるか?
お尻の上部が露出するのである。
これに丈の短いTシャツを来ているから、後ろから見ると、ケツ曝してますというイメージになる。
見せるショーツも加わって、露出狂の世界もかくやという感じになる。
よくこんなファッション、恥ずかしくもなく身につけるなと感心する次第だ。
ま、若い女の子には、これも1つの自己主張なのだろう。
若い女性というのは、生得的なのか文化的なのか知らないが、根本に変身願望が強いと言われている。
ファッションというのは、まさしくその変身願望の現れだと私は思う。
シンデレラ症候群という言葉もある。
いつか王子様が、なんてのもあった。
女性は男と違って、若い頃、具体的にこうしようというものがそれほどない。
こういう勉強して、こういう仕事につき、それを人生の課題としようというのは、どちらかというと男性に多い考え方だ。
女性は、確かにこういう仕事につきたいという願望はあるのだが、それは一生通じてという意味ではない。(スッチーとか看護婦とか美容師とか)
なかなか、一生ある仕事をすることによって、何かをなしとげたいという意欲には繋がらないのが普通だ。
たいてい、どこかに結婚が入り、子育てが入る。
幸せな、家族生活を築きたいという願望がからむ。
だから、若い間は、それまでの過渡期というニュアンスがどうしても濃くなるようだ。
過渡期の人の心は、微妙に揺れ動く。
ちょっとしたことに、心は騒ぎ、普通に生きることにいつも疑問を持ったりするものらしい。
だから、普通である自分が嫌でしかたがない。
常に、変わろう、変わろうとするモーティベーションが働くようだ。
これが変身願望である。
ファッションしかり、グッズしかり、職業しかり。
今の自分ではない、より魅惑的に見える自分に変身したい。
その変身によって、揺れ動く自分に確固とした座標軸を持ちたいと思うのだ。
シンデレラはそうだったではないか。
みすぼらしい自分が魔法によって全く違ったゴージャスな自分に変身する。
その変身によって彼女は最高の価値あるもの(王子さま)に評価され、お望みの結末を招来させる。
そんなことは現実に起こるかどうかはこの際関係ない。
それが望みなのだ、と自分の中に強い意志が作られることが大事なのだ。
女性はいずれにせよ、妻になり母になり、イヤが応でも変身する。
若い時は、その変身への軽いウォーミングアップということなのかもしれない。
化粧等は、変身のための基礎の基礎だろう。
美容整形が流行るのもこの類いの欲望ゆえだし、奇抜なファッションも、髪型も、ブランドの小物もすべてその為のアイテムなのだろう。
そういえば、男にはあまりこの変身願望を感じない。
男が化粧したりするのは、単なる好奇心であり、シャレ以外の何ものではない、という感想を私は持っている。
変身というと、私なんかはどうしてもカフカの「変身」を最初に思い出してしまう。
変身といっても、いい変身ばかりではない。
朝、目をさました時に、芋虫に変身することだってあるのだ。
そんな変身なんか誰も望んではいない。
だから、君子危うきに近寄らずで、私なんか変身したいなんてほとんど思わない。
自分は、日々の努力によって、自分の力で自分を高めて行きたい。
別の力で、自分が受け身的に変わるのは願い下げである。
女性の変身も本当は同じような側面があるはずだ。
股上の浅いパンツをはいて変身したと喜んでいるかもしれないが、私にはそれはカフカが描いた芋虫への印象と重なって仕方がないのだ。
自分を芋虫と気づかないで変身に満足する女性たち、私が少し不快に思うのは、きっとそういう理由からだろう。
電車の中で化粧する女性も結局自分が芋虫であることに気づいていないのだろう、まわりの人なんかどうせ私には関係ないと思っているらしいが、自分が芋虫と思われていると気づいたら、関係ないですませておくことができるのだろうか、安部邦雄