昨夜、NHKの「プロジェクトX」をぼーと見ていた。
深夜の再放送もの。
東芝がワープロを開発するプロセスを描いていた。
昭和52年(1977年)に開発開始。
昭和54年(1979年)に一号機完成という表現だった。
机1つ分もあるワープロだ。
でも、最初はタンス4つ分のスペースが必要なんて言っていたのだから、小さくなったといえば言えるのだろう。
まだ、一号機が完成してから20年あまりしか経っていないのか。
でも、今やワープロなど、どこにも売っていない。
半分壊れたワープロが会社にも2台ころがっているが、おそらく2度と使われることもないだろう。
ひと世代という言葉があるが、本当に世代1つで環境が変わって行くということなのだろう。
ワープロの話をし始めると長くなる。
私は、大学でコンピュータに初めて接触したのだが、その時はまだタイプライターの時代だった。
英語だと、簡単にタイプできたのだが、日本語は実に煩わしかった。
和文タイプというバカでかい代物があったが、一枚の原稿を書くのに1時間程度かかった。
でも、これがワープロに替わるとはとても思えなかった。
日本語を簡便にタイプできるなんて、本当に驚きだった。
ワープロを初めて使ったのは、1983年頃だったかな。
シャープの書院を会社(FM大阪)が買った。
総務の女子社員が、研修に行かされていた。
単なる、清書マシーンという位置付けだった。
私は、別に研修等受けなくとも、マニュアルだけで操作はできた。
和文タイプの技術があるから、ワープロなんか怖くない、という心境だった。
使ってみて、確かに便利。
今のワープロより、はるかに機能はちゃっちいけど、それでも当時の私は面白くて仕方がなかった。
企画書を、どんどんワープロで作った。
誰も作れなかったということもある。
自分が少しでも目立てばいいと言う気持ちもあった。
それ以上に、社内に字が綺麗なのが自慢で、企画書を書くのも単に、自分の字を見せびらかしたいだけではないかと思う同僚がいた。
ワープロはそういう連中を駆逐する。
どんどん、普及すればいいと私は意地悪く思ったりしたものだ。
最初はずっとひらがな入力をしていた。
和文タイプの名残りだったのかもしれない。
他の連中はみんなローマ字入力だったので、ここでもへそ曲がりな対応をしていたということになる。
10年前、ローマ字入力に切り替えた。
今では、ひらがなの位置も余り覚えていない。
去る者は日々に疎し、ということか。
きっとワープロもその存在とともに、あと10年もしたら完全に忘れ去られるのかもしれない。
どこかの民俗博物館に飾られる日も近いかもしれない。
脱殼機の横に、ぽつんと置かれるワープロを見たら、きっとあまりの悲しさに涙するかもしれない。
それ、農機具じゃないんだけどなあ。
以上、「プロジェクトX」を見ながら思ってみました。
そういえば、コンピュータの記憶装置も変わって来た、鑽孔テープ、カセット、ぺらぺらのフロッピー、ハード・フロッピー、MO、ZIP、HDD、まだまだ小さくなったり、大容量になったりするのだろう、何かついていく自信ないなあ、安部邦雄