今日、テレビで清里の特集をやっていた。
観光地としての紹介ではない。
清里はもはや若い人達が集まらない、さびれゆく観光地になっているという特集だった。
清里は今年の夏にキャンプした場所だということは先日この欄で紹介した。
1972年ぐらいに、最初に行った時の清里は、自然いっぱいの保養地という感じだった。
ペンションなんて全くなく、宿泊するのはユースホステルなどがメインの頃だ。
それが、80年代に入って、バブル景気にあおられ、どんどん原宿化していったと番組では言っていた。
ペンションは100軒以上も生まれ、どこもシーズンは連日満員だったという。
なるほどねえ、そう言えば、私がその頃スキーでよく行っていた八方とか栂池なども、その頃から原宿みたいな雰囲気になり、ペンションも次々にできていったなあ。
脱サラという言葉もその頃から良く使われたはずで、サラリーマンをやめてペンション経営なんて話もしょっちゅう聞かされていたものだった。
ま、そういうわけで、清里も軽井沢みたいなノリで街が出来て行き、連日若い女の子がわんさか押し寄せたという。
で、バブル崩壊。
次々つぶれるペンション。
放置される別荘。
テニスのクレイコートはあちこちひび割れ、何とそこには松の幼木があちこちに顔を出していた。
松の木はこんなところで、根を張ろうというのだろうか。
もちろん、松は何も知らないまま、この地に根をおろしたのだろうが。
これで満足に育つのだろうか、と少し同情してみたりする。
その松を見て、私は我が身を思ってみた。
東京に来て、まもなく15年。
今の住所に移って、来年で10年だ。
それでも、少しも住む場所へのアイデンティティが育たない。
ただ、そこに住み、食事をし、眠っているだけだ。
これをデラシネと呼ぶのではないだろうか。
普通、デラシネは根無し草と訳されているが、別に「故郷喪失者」という訳もあるらしい。
コンクリートの上には根が張れない。
都会の象徴がコンクリートであるとするならば、命の根は決して大地に下ろすことができない。
都会人は、結局デラシネ的な虚無感から逃れることは出来ないのではないだろうか。
ここは、私の心を置く場所ではない、と。
私の場合、やはり自分の心の故郷は東京ではない。
かといって、それが大阪かというと、最近は実家があるというだけで、今の心を安らかにさせるものはあまりないのが実情だ。
デラシネ、ますます私自身が、大地から生きる糧を得られなくなっている。
このまま枯れてしまうのか?
少なくとも、今のままではそうなるのかもしれない。
デラシネ、置き場のない心。
都会からコンクリートを撤去しよう、ヒートアイランド現象への対策として、それも又よいのではと思うのだが、もっと木の家を増やそうとか、何か考えないといけないのでは、安部邦雄