大阪の地下鉄に乗っていて、面白い中吊り広告に出会った。
「大阪で生まれた私だけど」というタイトルがつけられ、大阪人のイメージは間違っているという文章が綴られているのだ。
要約してみると、次のようになる。
私は大阪人で、東京人でもパリジェンヌでもない。(東京人とパリジェンヌなんて変な対比だけど)
でも私はコテコテじゃない、マスコミが勝手に作り上げた大阪人のイメージと私にはギャップがある。
確かにたこ焼きは好きだが毎日は食べない。
駅のホームで並ばない人など友達にいない。
信号が赤でも渡る人はいない。
大きな声も出るけど、小さな声でも話せるし、ボケなくてもつっこみができなくても友達は友達だ。
連呼のCMだけが好きなわけじゃない。
阪神が負けても機嫌は悪くなく、美しい微笑みは絶やさない。
キタもミナミもいいが、他にもいい場所はあるはず・・・・
おおよそ、ずらずらとこういう文章が書かれ、最後に京橋の京阪モールをさりげなくアピール。
そう、これは京橋の京阪モール・リニューアル広告なのだ。
この中吊り広告を見ながら面白いなと思ったのは、ああ、大阪の人はこんな風に全国的に思われていると考えているんだなということ。
確かに、大阪の人間のイメージのステレオタイプとして、そう思われている節もある。
しかし、最初の東京人でもパリジェンヌでもない、というのはちょっとコンプレックスを感じていやだ。
東京人なんて表現でイメージされるものって、田舎者の裏返しでしかない。
だから大阪人が東京人云々というのは、対抗心むき出しという感じが否めない。
東京人なんて、大阪人がライバル視するほどのものでもないのにと正直思ってしまう。
たこ焼きはおいしいものであればどこの地方の人でも好きなはず。
ただ、たこ焼き器が一家に一台というのは凄いし、たこ焼き屋の数は群を抜いている。
宇都宮が餃子の町といわれるとように、大阪がたこ焼きの町といわれてもいいではないか。
誰も、宇都宮の人がみんながみんな餃子が好きだとは思ってはいないはず。
別にそんなこだわり持つ必要もないはずなのに。
駅のホームで並ばないというのも、今は前ほどひどくないような気がする。
むしろ、駅関係でいうと、エスカレーターで止まる人は右側によるというのを守っている方がびっくりするくらいだ。
東京では立ち止まる人は左側によるという違いはあるにせよ、大阪人がルールを守っているのがとても不思議なのだが。
信号が赤で渡る奴はどこにでもいる。
ただ、大阪人がせっかちであることは事実だけどね。
大阪人の声が大きいというのは、本当のところどうだろう。
私もまあまあ声は大きいが、小さい声の人もそこそこいる。
ま、田舎から東京に出てきた人は、自分のなまりを聞かれたくないため、大きな声を出さないというのは事実だ。
それに比べて、関西人は、ということならよくわかる。
声のことでいうと、私は標準語で喋るときは、やや声が高くなり、大阪弁だと低音になるという傾向がある。
これは、関西出身のタレントさんの喋り方を聞いていても同じようだ。
なぜ、高くなったり低くなったりするのか、よくわからない。
で、この広告、思わずメモしてしまったぐらいの面白いものだったが、大阪の人は反応はどうなのだろう。
なかなかいいコピーなのだが、できれば東京でこういう中吊りをした方が、アピール度は上がるのにと思った次第。
しかし、東京人がこれを見たからといって、京阪ショッピングモールに行くとはとても思えないけどね。
あ?あ、又その日のうちに更新ができなかったなあ、昨日から新しく買ったマックのiBookでこの欄を書いているのだが、どうも使い方になれていたいのか、色々不都合が出て困っている、安部邦雄