細かい点にばかり注意して、全体をみようとしないこと。
それが、木を見て森を見ず、という諺。
これ、意外とよくあることだ。
例えば、今日も日経平均株価が8200円を切った。
バブル以降の安値更新だ。
もう、経済は危機的だ。
竹中、小泉は何をやっている!という論調が、マスコミでますます強まって来た。
小泉首相は、悠然としてこう言う。(余裕を演出しているだけかもしれないが)
「株は上がったり下がったりするものだ。」
確かにその通り。
この場合、株は「木」にすぎない。
それよりも全体を見なさい。
何か、無茶苦茶に悪くなっているものがありますか?
私のまわりにいる人。
株価が下がったからといって、別に生活態度が変わった人等誰もいない。
たまに、デイトレーダーもどきもいるが、貯金の一部を失っただけだ。
そりゃ、金が目減りするのは辛いだろうが、株は下がる時もあれば上がる時もある。
上がった時には、ひとりでニヤニヤしているくせに、下がった時は大袈裟に文句を言う。
調子のいい時には、何もいわないのに、悪くなったら途端に政府は何をしているんだ、これでは日本経済は沈没だ、等と騒がしい。
上がろうと下がろうと、てめえの責任で買った株だろう。
政府や世の中のせいにするんじゃねえ。
ま、御愁傷様ですという気持ちはあることはあるが。
私から見れば日本はまだまだ余力がある。
経済指標などのインデックスがどれも悲観的であるから、どうしても将来的な不安感が強まっているのだろうが、明日いきなりパニックが起きるなんて可能性あるのだろうか。
前も言ったが、今の日本人は少し裕福すぎると思う。
どこかで飯米に追われる必要はあるのではないか。
明日、食べる米がない。
子供の新しい下着も買ってやれない。
親は食べるのを我慢して、お腹が空いたと騒ぐ子供に食料をまわす。
新しい下着は買えないけど、いつも綺麗に洗濯したものを毎日子供に着せる。
そういうことが大事なのだ。
子供はそれを知った時、どれだけ親に感謝することか。
今は、そんなこと何かある?
子供にオモチャを買い与えたり、自分の部屋を与えたりしても子供はそれだけで親に感謝するはずがない。
親は無理して、自分の持つものを犠牲にして子供のために努力しているのだというメッセージがなければ、どんな親心も子供には届かない。
余ったものを子供に渡しているのだ。
だから、子供達はそこに親の血や汗を感じない。
何かを犠牲にしない生き方なんて、ただの飽食、ただの怠惰ではないか。
今の日本に足りないのは、そう言った自覚だと思う。
自分の収入が何とかある間は、まずそういった世の中に感謝があるべきだ。
だから、その感謝の代わりに自分の持つものを犠牲として差し出す。
収穫されたものを神にささげるのもその1つだろう。
そこに自然の畏敬が生まれたり、人への愛情が生まれたりするものだ。
経済状況が悪いから、どうだというのだ。
かっての同窓生が、年収5千万あるからどうだというのだ。
そんな木ばかり見ているんじゃないよ。
大切なのは、その根っこであったり、森全体の生態系なのだ。
心配するのは、そちらではないのかなあ。
目立つものとか、自分にないものとかを羨む気持ちは人間特有のものかもしれない、隣の芝生は青いというのも実に真実を言い当てた諺だと思う、安部邦雄