私の事務所は代々木の11階にあり、晴れた日には窓越しに富士山がよく見える。
富士山が見えるというのは、立地的にポイントが高いと東京の人は言う。
前に葛西に住んでいた時も、13階に住んでいたので富士山は良く見えた。
あのマンションも、ポイント高かったのだろうか。
富士見という地名が東京に多いのも興味深い。
私の住んでいる浜田山から二つ目の駅が富士見ヶ丘と言う。
高台に登れば富士が見えるのかもしれないが、今だ見たことがない。
そう言えば、今日西武池袋線に乗っていたら、石神井公園のそばに富士見台という駅があった。
ここからも富士が見えるのかな?(見えるとは思えないけど)
他に、埼玉県に富士見市というのがあるし、八ヶ岳周辺にも富士見という駅があった。
思うに富士山を中心にして、放射状に富士見という地名があるのだろう。
霊峰富士という言い方もあることだから、きっと富士山は同心円上の地に住む人たちからずっと畏敬の念を持ち続けられたのだろう。
竹取物語には、かぐや姫からもらった不死の薬を富士の火口に投げ込んだので、富士山(不死山)と呼ばれるようになったと書いてある。
更級日記にも富士山のことを「山の頂のすこし平ぎたるより,煙は立ちのぼる。夕暮は火の燃え立つも見ゆ。」等と描写されている。
当時の富士山は活火山だったわけだ。
富士山を中心にして、同じ意識を共有する集団がいたことは確かだと思う。
私は、これを富士文化圏と呼んでいる。(というのは誇張。実は今年の八ヶ岳キャンプに行った時、遠くに霞む富士を見て思いついただけ)
しかし、絶対に富士山を見た人の意識が共通化することは確かだと思う。
それが具体的にどういうものか、これから研究しないといけないが。
しかし、富士山はいつ見てもあきない。
ふるさとの山に向かいていうことなし
ふるさとの山はありがたきかな
啄木が詠んだふるさとの山って岩手山らしいけど、富士山をふるさとの山に持てる人は正直うらやましい。
私なんか、かろうじて生駒山ですからね。
ま、伊勢物語の筒井筒の章で「 君があたり見つつを居らむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも」と歌われている山だから文句いうと罰が当たるが。
などと適当に書き進んでいると、時間ばかり経ってしまった。
今日もそろそろ終わりなので結論は中途半端だけど、こんなところでおけさ節。
つまり何を言いたかったかというと、富士山はええなあという気持ちだけで、わかりあえる人たちがいるということですね、安部邦雄