文部科学省が「愛国心」を国民に植え付ける教育方針を打ち出しそうである。
日本人に足りないのは「愛国心」だそうだ。
だから、なおざりにされてきた「愛国心教育」を強化するらしい。
何故に愛国心が必要かということには、ほとんど議論がない。
どこの国でも愛国心を持つのは当たり前だから、という理由らしいが、「国旗」にしても「国歌」にしてもそうだが、もう少し国民的議論をまきおこすような環境整備をしてからでもよさそうなものだが。
密室で方針を決め、後は多数決で強引に正面突破、何か日本人はこういう手法がお得意のようである。
「万機公論に決すべし」なんてのが、五箇条の御誓文にあったと記憶するが、公論なんてお上の決定プロセスにはきっとないのだろう。
ごちゃごちゃ言わんと、わしらの決定した通りにしてたらええんじゃ!
日本のエリート層の共通意識かもしれない。(エリートの意識なんて、どこの世界でもそんなものかも)
愛国心というと、アメリカのそれは何かスマートだ。
同時多発テロ以降、全米で歌われる「God bless America」なんて、何て感動的な歌だろうと感心する。
大いなる山から、大いなる平原まで、このアメリカ全てを神は祝福している。
何てすばらしい、私たちの故郷、大いなるアメリカ。(意訳含む)
アメリカという国に生まれたこと、それがどれだけ幸せなことか、どれだけ素晴らしいことか、私たちは永遠にこの国を愛し、それを守る。
愛国心とは、そこに育ったものが自然と身に付ける、自然との共生意識であり、仲間意識であるということだろう。
ここには、政府の強制的な教育という概念はない。
愛国心がない国は、結局それだけの環境しか政府が与えられていない国なのだ。
日本がそんな国だとは、私にはとても思えない。
愛国心がないなんて、何を根拠に中教審は言うのだろう。
日本人がもっと身に付けた方がいいと思うのは、前にも言ったが、外国人を排斥する精神の克服である。
よそ者を排除しようとする性向の克服である。
愛国心教育をやれば、これらがより強固になりはしないかと私は危惧する。
偉大なものには、人は自然に頭を下げるものだ。
国が偉大であれば、私たちは強制されなくとも愛国心を持つだろう。
教育をやめたから愛国心がなくなったのではない。
政府を盲目的に支持することが愛国心なら、北朝鮮の体制とさして違わないと言うことはだれの目にも明らかだと思うのだが。
昨年のNFLスーパーボウルの勝者はペイトリオッツ、すなわち愛国者だった、でもこのチームが、日本人が思うような愛国精神一杯の連中ではなく、どこにでもいるような普通のヤンキー集団である、つまり愛国心なんて、そこにいる連中が普通に持つ常識程度のものだということだ、安部邦雄