指名されることって、私達が思っている以上に当人は嬉しいことなのだということを昨日は言いたかった。
ただし、これは営業分野での話。
学校等で、毎回指名されても嬉しいかどうかは保証の限りではない。
指名されることによって、自分の所属する集団の中で力をつけることができるというのは確かなようだ。
社内では、それほど評価されていなくとも、外の人から評判がよく、できれば誰某さんにお願いしますと言われたら、なかなか断れるものではない。
逆の話だが、放送局時代にある広告代理店が、営業担当が気に入らないから替えてくれと言ったことがある。(人事権の侵害だなんて声もあったが)
担当は、もちろん社内で面目丸つぶれ。
いくら社内で評価されていても、それだけで営業マンとしての価値はがた落ちする。
名指しされることの明と暗というわけだ。
キャバレーとか風俗の世界でも、指名されることが何にもまして優先されることだ。
客から評価されることが第一なのだ。
何故なら、金を払うのは客であって、店ではないからだ。
指名されること=政治力と言えないこともない。
そういった積み重ねが、その人の権威を作るといっても過言ではない。
で、私は何を思ったか?
私が業界から指名されるようにならないといけない?
う?ん、それは余り思わないなあ。
今さら指名されても、鬱陶しいだけで。
できれば、会社を御指名いただくか、segawaxを御指名いただければ・・・。
何の話や。
むしろ、それよりも、これからはどんなお店に行っても、店の人の名前を覚えてあげようと思ったわけ。
二度目に行った時は、その人の名前を必ず出してあげよう。
理由は何であれ、その当人の価値がその店では確実に上がるのではと思うのだ。
つまり、自分と対応してくれる人がその店で価値が上がるとしたら、その顧客である私の価値も上がるのではないか。
だったら、どんな場合でも指名することは決して自分に損ではないだろう。
相手が店が変わろうが、担当が変わっていようが、誰某の顧客であったということが、その店でわかればよいのだ。
それは、プラスの連鎖を次に作り出すに違いない。
新しい担当がつけば、今度はその人の名前を毎回出せばよい。
そう、名前を出すことは、それが力になるということなのだ。
言霊信仰と関連づけて語ることもできるが、そこまで行かなくとも、名前を出すことの意味は、誰もが思う以上に重要なファクターだと考える次第。
さて、皆さんの意見はいかがだろうか?
床屋に行っても、マッサージ店に行っても、飲み屋に行っても、スーパーに行ってもでもよい。
とにかく、一度でも触れあった人の名前は覚えておこう。
そして、次に行った時には、その人の名前を必ず出そう。
名前はクーポン券の役割を果たしてくれるはず。
遠慮したら、絶対に損だと言うことは強調しておきたい。
自分が指名されたことを考えたら、貴方も何か感じ取れるはずだと思うのだが。
とはいえ、私がそういう営業の場で指名されたという経験って、あまりなかったような気もする、でも、おそらく業界のセールスナンバー1という人は、絶対に指名されることに意義を見い出しているはずだし、その効能も知っていると思うのだが、安部邦雄