ある人と会った。
近々会社を辞めると言う。
辞めてどうするのですか?と聞くと、コンサルタントみたいなことをやるつもりだとのこと。
老兵は消え去るのみかもしれないけど、まだまだお呼びがかかったりするので、もう少しやってみることにしたという。
もちろん、まだ50代の人で、老いるとかという世代ではない。
私が、この業界に入って来た時、先輩として色々と教えて下さった人だ。
90年ごろ、イカ天というテレビ番組があって、その周辺で活躍されたりしていた。
でも、その後はイマイチ華やかさかが消えて行き、段々社内で邪魔扱いされたりするようになった。
悪口も死ぬ程聞いたが、その悪口を言う人はみんな本来とてもイイ人たちばかりなので、私は辛い気持ちでそれらを聞いたりした。
あの人が、そんな風になるのか?
でも、確かに今の場所にこの人が活躍する場所はないのかもしれない。
活躍できないのに、ずるずる給料だけもらいに会社へ行く。
評価されない毎日、私ならそんな生活には耐えられない。
自分の場所がないと判断したら、消え去ることしか、本来残された道はないはずなのだ。
少なくとも、自分が活躍できる場所を探すことが生きて行く為の方策だろう。
ただ、自分がずっとそこにいたことを持って、その場にしがみつくというのは、結局は不幸なことではないかと思うのだ。
働けないものは、姥捨て山に捨てられるしかない。
働けるなら、自分が活躍できる場所を求めて、その場を去れ。
もちろん、私もその気概を持って、これから生きて行きたいとは思っている。
少し話がそれるかもしれないが、「誰かが不幸になることを望むことによって、自分の幸せを捨ててしまう人が多い」というある人が言っていたのを思い出す。
あいつが、どん底に落ちるなら、自分の幸せは犠牲にする。
どうか、あいつを(あいつらを)再起不能にしてほしい。
そんな悪魔との契約をしかねない人が増えていると言う。
会社にいつまでもしがみついて、「絶対俺は会社を辞めてやらんぞ!お前らの思い通りにはさせてやらん!」という怨念含みの生き方をしている人も良く見かける。
本人がそれで遊んでいるつもりなら、別に何も言うことはない。
しかし、心から自分の幸福を犠牲にしても、他人の不幸を望むなら、それは果てしない人生の無駄というものではないか。
リストラ、失業、デフレ、世の中確かに暗い世相が多い。
言えることは、どうか皆さん幸せになることを求めて下さい。
人を不幸にすることだけを秘かな楽しみにして、自分の幸せを犠牲にするのはやめてください、ということ。
そして、自分が働けないと悟ったら、いさぎよくその場を去る勇気を持ちましょう。
老兵は消え去るのみと心から言えるのは、勇者の証でもあると私は思っています。
今日は、やや年寄りくさい話になった、縁側、ひなたぼっこ、猫、まったりと時間がすぎていくのを、目を細めながら見送るには、私はまだまだ生臭いなあと思ってはいますが、安部邦雄