子供の頃から家でよく飲んでいたのは緑茶だった。
「うちはみんなお茶飲みやから、お茶だけは欠かしたことがない。」とよく母が言っていた。
今も同じ。
実家に戻るとお茶ばかり出る。
ついでというか、必ずお茶受けも用意してある。
やはりお煎餅の類が最高かな。
お茶受けと言う言葉もなかなかいい。
お茶を受けて立つためのお菓子という感じで、なかなか凛々しい。
でも、この言葉もそのうち死語になるかもしれないなあ。
お茶飲みと呼ばれるような人は、決して贅沢なお茶は飲んだりはしない。
玉露なんて堅苦しいものは飲むに値しないらしい。
普通の番茶で充分だという。
私もそのせいか、番茶以外は飲まない。
本当は寿司屋で出されるお茶が一番いい。
回転寿司のティーバッグに入っているお茶もなかなかのものだ。
いつも、余分に持って帰りたくなるのだが、ちょっと気兼ねしてなかなかテイクアウトできない。
今度、ビニール袋持って行くことにするかな。
健康番組などを見ていると、緑茶は何にでも効きそうである。
ビタミンCが豊富だとか、風邪時には抵抗力もつくとか、ガンになりにくいとか、糖尿病を予防するとか、そういえば、我が家がみんな元気なのはお茶のせいかもしれない。
とはいえ、私が一番好きな飲み物はというと、何と言ってもビールとコーヒーである。
ビールはずっと風邪気味なので、最近は全く飲んでいないがないと寂しい飲み物ではある。
コーヒーも同じ。
1日に3杯は飲む。
今日は、朝食時に一杯、それから先程マックで一杯。
純喫茶で500円もするコーヒーを飲むことは最近なくなってきたが、ドトールとかスタバとかタリーズとかでは浴びる程飲んだりする。
コーヒーというのは、カフェインが入っていて眠気ざましに良いなどと言われているが、カフェインだけなら、他のお茶にも入っている。
でも、何故かカフェインと言えばコーヒーばかり話題になる。
おそらく、コーヒーのビター味が、カフェインと混乱しているのだろう。
それと香りが豊かであるということも、眠気覚ましと関連づけられているのかもしれない。
自慢じゃないが、コーヒーを飲んだからといって、眠れなかったなんてことは一度もない。
眠い時には、カフェインがあろうとなかろうと寝てしまうものである。
とはいえ、朝必ずコーヒーを飲むのは、おそらく頭をしゃきっとさせるためであることは確かだ。
海外に行っても、コーヒーが飲めなかったら、私は途端にイライラする。
アメリカのコーヒーがどれだけ薄いだけの、これ本当にコーヒー?と疑念がわくようなものでも、ないよりはましだ。
コーヒーのない生活は考えられない。
代わりに紅茶はどうですか?と言われると、途端にノーサンキュー。
私は、よほどのことがない限り紅茶を口にしない。
飲むと、決まって気分が悪くなったことが昔あったのだ。
コーヒーを全く口にしない人が時々いるが、紅茶を全く口にしない人はあまりいないようである。
紅茶を出されて、全く口にしないのを不思議がられたことは二度三度どころではない。
たいてい、シュークリームとかチーズケーキと一緒に出てくる。
で、私はこういう類のものは、何のためらいもなく食べ、紅茶だけ飲まないのだから、奇異に思われるのは仕方がないかもしれない。
この欄にも出て来たと思うが、学生時代、塾の教師をしに、高知県甲ノ浦というところに長期滞在した時、困ったのはコーヒーを飲む場所がなかったことだ。
町には、喫茶店が一軒もなかった。
そんな町がまだ日本にあるのか、その時は本当に驚いたものだった。(仕方無しに、よろず屋でインスタントコーヒーを買ったが、やはり豆を煎ったコーヒーが無性に恋しかったなあ)
もちろん、今や甲ノ浦には喫茶店はイヤというほどある。
日本人の生活習慣も変わって来たということだろう。
最近はひょっとしたら、インスタントコーヒーの人気が落ち気味かもしれない。
ゴールドブレンドのコマーシャルもあまり見かけなくなった。
違いのわかる男も減って来たからかもしれないね。
最近では御歳暮にインスタントコーヒーを送る人も減ったような気がする、チープな飲み物というイメージって、いつから生まれるようになったのかな、安部邦雄