四季のうち、一番あざやかな季節はいつだろう?
春の桜は、確かにあざやかだし、初夏の新緑も捨てがたい。
でも、私が折にふれ感じるのは秋のあざやかさだ。
秋の夕暮れは、実にあざやかだ。
夕焼けの美しさは秋にまさるものはない。
枕草子にも「秋はゆふぐれ、夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。」等と描かれている。
また、その夕日に映える紅葉の木々も見事だ。
裏の川沿いを散歩すると、この季節、桜並木が見事に赤く変色し、風にキラキラと輝いている。
呆然と見つめる私に、冷たい秋風が首筋を通り抜けて行く。
一幅の絵とも呼ぶべき、その風景。
いつ、どこにでもあるわけではない時間が、美のはかなさ、あやうさを私に告げているかのようである。
毎日がありきたりな時を過ごしている身には、ふと感じる自然の底力のような美が、崇高な存在として伝わってくるのだ。
そして、この季節、空には昂が。
「せめて、あざやかに、その身を終れよ」と歌った谷村新司の詩の見事さも自然に心に響いて来たりする。
風邪をこじらせたくせに、こんな時間に表を歩いているべきではないかもしれないが、今この時を失うのがもったいないような気がして、ぶらり今日は外を歩いてみたわけです。
風流子をきどっているのは今日で終わりにしよう、明日から又仕事!仕事!安部邦雄