淋しさに 宿を立ち出でて ながむれば
いづこも同じ 秋のゆふぐれ(良暹法師)
いづこも同じということを言う為に、ついでに秋のゆふぐれまで思い出してしまった。
その又ついでに、上の一首も引っぱりだしてしまった。
良暹(りょうぜん)法師って、どんな人だっけ。
調べたら11世紀の天台宗の僧だとか。
11世紀の秋のゆふぐれも、21世紀のゆふぐれもやっぱり同じようなものなんでしょうな。
何故いづこも同じと思ったのか、昨日の話の続きである。
新しいことをやろうとしたら、必ず反対意見が出る。
それはたいていの場合、反対の為の反対であり、説得しようと思ってもムダだと言う話だった。
それを今の政府のドタバタぶりに見てしまうのだ。
竹中ー小泉ラインの経済政策を、やれ素人の政策だとか、無責任だとかいう批判が多いが、そんなもの論議している前に早くやれと私は言いたい。
やってみて、色々と問題が出るだろう。
それで論議すればいいのだと私は思っている。
やりもしないで、勝手なシミュレーションだけで、こんな経済政策は失敗するなんてことを言い過ぎるのではないか。
こういうのを私は反対の為の反対と呼び、説得するのは無駄だと主張している。
不良債権を処理すると会社がどんどん潰れる、だからその前にデフレを解消してから、不良債権を処理すべきだなんてことを言う人がいるが、デフレなんて解消することが絶対にできるとあんたは思っているのかと言いたい。
インフレターゲットを設定すればいい、なんて何を根拠に宣うのだ。
インフレ政策がデフレ解消に繋がるなんてこと、本当に確実なのかどうかわかったものではない。
不良債権を解消することによって、経済成長を阻害しているものを市場から追い出し、それから予算を重点配分することによって、新しい産業を育成発展させることの方が合理的ではないのだろうか。
予算が潤沢に組める時ならまだしも、借金するしか原資がない今の時代に、むだな投資はできるだけ避けたいと思うのは当然ではないか。
何故、すでに市場から淘汰されるべき産業をソフトランディングと称して、残そう残そうとするのか。
結局、そういった産業と今の官庁や政治家が鉄のトライアングルで結ばれているからに他ならないのだろう。
自分達の否定に繋がることは、例えそれが必要であろうとも、徹底的に反対する、それが抵抗勢力の正体だ。
別に誰かが悪意を持って、政治をねじ曲げていると言う話ではない。
人が利害を持ちながら、合従連衡を繰り返している時に、当然のように生まれる現象というしかない。
いづこも同じ、秋のゆふぐれ。
だから、反対の為の反対に論理をもってすることは空しいだけなのだ。
その空しい作業を、今、竹中大臣は日々行っている。
きっと、何度もアホらしいと思いながら、霞ヶ関のどこかで今も頭を悩ましていることだろう。
御愁傷様です
しかし、こういう時に評論家のような口ぶりで、バカじゃないか、俺ならああするこうする、なんて言っている奴にロクなのはいないというのも又真実だと思っている、安部邦雄