12月は「忠臣蔵」の季節。
年が明ければ、ずーと忘れているが、12月になってにわかに話題になる、それが「忠臣蔵」。
昔は、映画館ではオールキャストによる「忠臣蔵」が必ずかかった。
東映が一番豪華だったが、松竹も東宝も大映も、手持ちのスターを全員集めて「大忠臣蔵」大会。
唯一、日活だけが忠臣蔵をやらなかった。
というか、日活は元々時代劇を作らなかったから当然かも。
こういうことを子供の頃から経験している世代には、「忠臣蔵」には独特の感慨がある。
そういえば、NHKの大河ドラマにもよく「忠臣蔵」が取り上げられたものだ。
長谷川一夫主演の「赤穂浪士」(1964)が一番話題になったし、私も良く覚えている。
宇野重吉演ずる雲の甚十郎というキャラクターが妙な味を出していたことも印象深い。
忠臣蔵を取り上げたのは、その後も「元禄太平記」(1975)、「峠の群像」(1982)、「元禄撩乱」(1999)と続いている。
まぎれもない、当たり狂言である。
歌舞伎では「仮名手本忠臣蔵」と呼ばれて、今もこの季節に演じられる外題だが、何度か立ち見席で見させてもらった。確かによくできている。
歌舞伎を見ていて、いつも思うことなのだが、とにかく演技している役者以外が見事に動かない。
静と動の美学とでも言うのだろうか、誰かが演技をして動いている時は、他のものは基本的に動いてはいけない。
歌舞伎に詳しくない人は、知らないことだと思うが、舞台に役者が20人ぐらいいて、1人か2人が動きを見せている時は、残りはとにかく微動だにせずじっとしている。
しかも、役者の目線は決して演技をしているものには向けられず、伏し目がちに前を見ているということが多い。
で、四段目の「塩谷判官切腹の場」、すなわち浅野内匠頭が切腹する場面なんか、何といっても凄いのは、切腹した判官がうつ伏せで横たわっている前で、延々と由良之助たちが何やかやと芝居する場面。
その間、死んだ判官の役者が微動だにしない。
そりゃ、腹切って死んだ人間が動くわけはないのだが、演技といえ、感心するぐらいじっとうつぶせのまま。
歌舞伎役者のすごさをまじまじと感じる瞬間である。
昔から、私もほとんど飽きることもなく、見続ける忠臣蔵。
こんな封建的なストーリーのどこがいいのだと言われるかもしれないが、最後に仇討ち本懐を遂げるというそのプロセスの苦難に、自分の人生を投影している人もきっと多いのではないだろうか。
別に、それは仇討ちというものでなくてもいい。
弾圧を受け、仲間から裏切り者が出る中、最初に誓いあった目標に向かって、皆で最後まで頑張れた、その感動が今の人にも伝わるからだと思う。
チームスポーツなんかにもそういう面は多々ある。
私が前にいた放送局で、毎年民放連主催の野球大会があった。
わが放送局は、出る度にコールド負け。
これからは参加するのもやめようという話になりはじめていた。
しかし、私も含めて、もっとちゃんと練習しよう、こんな調子じゃ、馬鹿にされるだけだ、と一念発起。
そして、ついに当時の強豪のある局と最終回で1点リードというところまで来た。
しかし、何とノーアウト満塁。絶体絶命である。
一打逆転という時に、まずセカンドフライ(セカンドは私)でワンアウト。
そして、次は何と低い打球のセカンドライナー。
これを好捕した私は、すぐに一塁へ。
ダブルプレー!
わー!勝ったー!やったー!
まだ第一回戦にもかかわらずベンチ前で監督胴上げ。
悲願の初勝利だったのです!
つまりは、忠臣蔵は、私たちの1勝に等しい、とても画期的なことであったというわけなのですが、何か、今日の更新、ちょっと電波入ってるかもしれません。(単なる私の自慢話?)ごめんなさい。
ということで、まもなく12月14日ですね。
12月に入ると、いつも坊主が走るとかいう話があって、次に忠臣蔵、冬至にゆず風呂に入る話があって、いよいよクリスマス、最後に大晦日、こっからは一気呵成に正月が来るわけですね、安部邦雄