今年も後残すところ、5日となりました。
年末を迎えて、どこのそば屋さんも大忙し。
かきいれ時を迎え、猫の手も借りたいほどと嬉しい悲鳴。
所変わって、こちらは新年に500万人が訪れるという明治神宮。
大きなさい銭箱も既に用意万端整えられ、後は除夜の鐘を待つばかり。
はい、こちらは買物客でごったがえす、上野のアメ横に来ております。
押すな押すなの大混雑の中、威勢のいい売り声が飛び交っていよいよ年末の熱気が最高潮に達しております。
「いかがですか、今年の景気は?」
「いやあ、お客さんは例年通りなんですが、売上の方はもう1つですね、やっぱり小泉さんに頑張ってもらわないとだめですね。」
今や遅しと、新しい年を待ち受けているアメ横からお伝えしました。
ま、こんな風なセリフがテレビからそろそろ流れることでしょう。
毎年、一緒。
こんなセリフなら、毎年同じものを使っておけばいいのに、台本を一から作り直したりする。
おそらく微妙なところが違っていたりするのだろう。
プロだとそれが気になるから、どうしても一から作り直してしまうのだ。
しかし、普通の人からすると、そんな微妙な違いは気にもとめていない。
専門家と普通の人の意識の差というか、ミスマッチは終ることはないのかもしれない。
しかし、放送には慣用句が多いなあと思う。
選挙戦となると、やたら予断を許さないとか、喜びに湧く××事務所、などと言うし、災害で避難した人は、たいていまんじりともせず一夜を明かしたとかいう。
私はこういう慣用句を安易に使うことがとても嫌いである。
食べ歩きルポで、ただ「おいしーい!」とか「どうです、この豪華な料理!」なんて表現ですましてしまうタレントには辟易する。
そんなんやったら、素人でも言えるわ、と突っ込み入れられそうな言葉は適当にしておいたほうがよいと思っている。
タレントで、これから伸びそうな若い子は、予定調和な表現の仕方をしない子である。
え?なんてリアクション!?と思える子が伸びるのである。
慣用句ばかり覚えて、それで事足れりとしていては進歩がないのである。
さて、この話、本当は言い出すと長くなるので、書くつもりはなかったのだが、時間がなかったのでつい触れてしまって今に至っている。
今日は、これでアップします。
面白くなくても、今夜は許して星野仙一。
今日は打合せが3件あった、どれも意外とシビアな話、年末の挨拶まわりもろくすっぽできないまま大晦日を迎えそう、年賀状まだ書いていない、安部邦雄