考えたら禁煙のメリットなんてどこにでも書いてあることで、私が態々言うほどのことでもないが、ま、ちょっと面白そうな話をまとめてみることにする。
だいぶ前に読んだ星新一さんのショートショートがあった。
(ひょっとすると筒井康隆さんだったかも。でも、この話少しも毒がないので、きっと星さんだろう)
タバコをやめたいと思った時に、ある人から薬をもらう。
「この薬を飲むと、吸いたいと思っても吸えなくなりますから。」
半信半疑で、その薬を飲んで寝るのだが、朝起きた時にタバコがなくなっているのに気がつく。
しかたがないので、表に買いに出るのだが、いつものタバコ屋が存在しない。
自動販売機も見当たらないし、どこへ行ってもタバコがないのだ。
街では誰もタバコを吸っていない。
そう、その薬を飲んだ時から、タバコに関するものは一切この世から消え去ったのである。
吸いたいと思っても吸えないわけだ。
それからのストーリーは忘れた。
多分、この薬は3日ぐらいで効力を失い、再びタバコ屋さんも自動販売機も再び目に見えるようになる、というような話だったのではなかったか。
それから、この禁煙をめざした主人公はどうしたか。
2度と、その薬は飲まなかったのではないか。
こんな禁煙のやり方は拷問である。
目の前から消えたからといって、欲望まで消えるわけではない。
直ぐに諦められるなら、今でも簡単に禁煙できる。
それができないからタバコをやめられないのだ。
今日から禁煙という人がよくすることだが、持っているタバコをそのままゴミ箱に捨てたりする。
これは、やめておいた方がいい。
潔い振る舞いをしたい人は、そうしないと自分に決心がつかない人だ。
そんな自分を奮い起こさないとできないようなことが、そんなに簡単にできるわけはないのだ。
そのうち、誘惑に耐えられずタバコを吸いはじめるだろう。
その時に絶対タバコを捨てたことを後悔するはずだ。
後で悔やむようなことは、たとえ自分の踏ん切りをつける為だとしてもすべきではないと思う。
そんなのは、結局自分の優柔不断さを責める気持ちとなって帰ってくるだけだ。
もう一度吸いはじめた時に自分を責める材料になりそうなことはしてはいけない。
自分は何とかだ!と人は思いたい存在なのだ。
プラス方向にもマイナス方向にもこの志向はある。
自分は能力があるとか、自分は成功者だ、他の人とは違うのだというのはプラス志向ということで、それ自体は結構なことだと思う。
逆に、私はダメな人間だ、肝心な時に臆病になる、男らしくない、人から頼まれたら断れない、、、こういう風に人は往々にして自己規定しまいがちなのだ。
確かにそういわれてもしかたがないことをしたという事実があっても、自分は何とかであると本当に言い切れるかどうかは疑問である。
人は何とかである、というのは単なるレッテルを貼付けて自分を解釈しやすいようにしているだけなのである。
そういう風に規定すれば、頭の中でハンドリングしやすくなる。
プラスにもマイナスにもだ。
プラスのレッテル貼りは、そんなに悪いことでもないのでやりたければやればいいのだが、そういうレッテル貼りはマイナス面においても当然のごとく存在する。
プラスとマイナスは表と裏である。
プラスがあればマイナスもあるのだ。
はて、禁煙の話がえらく違う話になってしまった。
この話は、もう少し自分の中で整理してから続きを書くことにする。
禁煙歴20年、まだまだ続けるつもりである。
昔、ある喫茶店に私しか吸わないタバコを置いてもらっていた、私もそこへ行ってはそのタバコを買うようにしていた、ところが私は禁煙、喫茶店は誰も吸わないタバコを全く処理出来なくなった、買い取るわけにも行かず、ただごめんと謝る私、ごめんでは済まなかっただろうが、安部邦雄