久しぶりにこの欄でシリーズものを書く。
本当はインターネット私見できちんと発表すべき内容なのだが、とりあえずメモ的にこの欄に書き留めておくことにした。
取り上げる材料は「DAW」。
Digital Audio Workstationの略である。
放送局の次世代型システムとして、少しずつ導入されているシステムである。
特徴はというと、放送局のシステムがすべてコンピュータの中におさまり、従来のようなテレコやCDプレイヤーなどのデバイスが全く不要になるところにある。
ついでに言うと、CDも音源をデジタル化して溜め込んでおけば不要である。
レコード室もいらなくなって、スペースも不要になるし省力化もされ、人件費の節約になる。
ま、ふれこみはこんなところだろうか。
で、昨年の夏に局舎移転を果たしたエフエム大阪が全面的にスタジオをDAW化した。
いずれ、どこの放送局のスタジオもDAW化するわけだから、どこよりも先んじて導入しておこう、ま、それぐらいの気持ちで何億の投資をしたのであろう。
確かにこういったシステムを初めて見るものには、「よくわからないが、何かすごいな」と思うだろう。
そして、今迄の番組の作り方に慣れていたものには、「このシステムが使えないと仕事がなくなる、どうしよう?」という危機感を持ったはずだ。
ここで、デジタル・デバイドという言葉を思い出してほしい。
つまり、DAWを使いこなせる制作マンとそうでないものとの間に格差がうまれると言うことなのだ。
そんな格差は生まれても良い、使えないやつは放送局から去れ、とでもいいたげな導入の仕方、それがDAWという代物なのである。
そこで私は言いたい。
DAWがそんな犠牲を強いて迄、導入する価値のあるものなのか、と。
一体、制作マンにどれだけの恩恵をもたらすのか?
本当に必要なものを少しずつ導入すればよかったのではないか。
何故に、ある哲学に凝り固まって、何ら融通性を持たないシステムに変える必要性があったのだ。
使えない人は使えるように学習し、訓練して下さい。
これはこれで良い。
本当に便利なら、みんな必死になって学習し、喜んで使うだろう。
当たり前だろう、今迄大変だった作業が実にシンプルになり、使い方も簡単なのだから。
しかし、DAWは本当にそんな代物か?
シンプルになったか?
使い方は前より簡単か?
作業の進化はシンプル&イージーではないのか。
一体どこがシンプルになった?
どこがイージーになった?
答は、これが音楽の録音現場から進化したもので、番組制作の現場においては、進化の過程からはずれているものだからだ。
だから、番組制作マンにとってはシンプルでもイージーでもない。
全然違う哲学を持込まれて混乱するのが落ちだ。
仕方がないから放送局のスタッフはどうするか。
一番便利そうなところだけを、選択して使うだけになる。
心のどこかで、これって本当に自分にとって便利な代物なのかと自問自答しながら、仕事がなくなっても困るというインセンティブだけで番組制作をしていることだろう。
DAWは放送局にとってシンプルでもイージーでもない。
それに気づかないと、これからの発展はありえない。
何か変じゃないか?DAW
私の言いたいことは、そこから始まる。
私の価値判断の基本は極めて動物的なところにある、何か変じゃない?とか、これって全体的に重くない?という気分である、DAWに対してずっとその気分が離れない、果たしてこの連載でどこまでこの気分は解消されるだろうか、安部邦雄