人生に妥協する年令というのがあるような気がする。
自分の人生は、まあこんなところだろう。
これ以上になる見込みもないし、下がることもないはずだ。
後は、時間の流れの中で、適当に人生と妥協しながら生きよう。
そんなに良いことはないかもしれないが、悪いこともないだろう。
人生、これで良いのではないだろうか。
以上は、私と近い年令の連中から感じとられる人生観なのである。
一言で言うと、今迄の人生の中で得た価値観をドラスティックにはもう変更しないという意志だ。
それが、ある年令になると強くなるような気がするのだ。
もう、今さら新しい問題意識を持つこともなく、従来のノーハウで処理してしまう。
自分には克服すべき課題はそれほどない。
また克服すべきだとも思わない。
他の誰かがやってくれるだろう。
私はもうやるべきことはやった、後は受益者としてのみ生きたい。
ライフスタイルは変えない。
人と人のつきあいも、今迄の延長上でよい。
新しいことには無理して挑戦しない。
不快なことにはかかわりあいたくない。
若者文化は何となく好きになれない。
翻って我が身を思うと。
私には克服すべき課題が多いと今も思う。
日々、問題が発生し、その処理に全身で立ち向かわざるをえない。
後は惰性で生きるなんてことはできない。
何故なら、私にはそんな余裕はないし、まだまだ走り続けないと私の人生はもたない。
人生を生きる為に、日々課題を持ち、困難の克服に自分の脳を働かせている。
本当は、もっとのんびりしたい、楽になりたい、ルーチンワークのぬるま湯の中にゆったりとしていたい。
そんな時はいつ来るのだろうか?
わからぬまま、今日も走り続けている。(少し早足で歩き続けていると言う方が正しいかも)
苦労していることに、自分の頭の中の整理がある。
ぐちゃぐちゃになった情報を自分の中で消化し、それを自分のマトリックスの中におさめる作業だ。
どれがどこに含まれる情報なのか。
わからぬことが今日も又1つ増える。
昨日迄書いていたDAWもその1つだ。
完全に頭のマトリックスの中に収納し得たわけではない。
私の克服すべき課題は、他にもあまたある。
簡単に処理できるものは、克服する対象とはいえない。
会社経営の問題、時代を把握するための視点の問題、人と人のつきあいの問題、どうやれば人は過剰なストレスから逃れられるのか、環境がどうあれば、人はもっと住みやすい暮らしを手に入れることができるのか。
これらを考えることが、結局自分を自分らしく生きて行くことに繋がる。
大層なことである。
もっと楽な生き方が他にも一杯あったろうに。
今日は、ちょっと愚痴のようなものを書いた。
明日から又、自分は自分の課題を克服する為に、全身で自分を表現して行きたい。
意見を下さった方々、どうもありがとう。
ある政府機関が主催したビジネスプラン発表会に新年早々応募したのだが、今日審査通過の通知が来た、2月に半蔵門にあるホテルで行われる発表会に出席してくれとのこと、正直とても嬉しかった、少しずつ自分の頭の中にあったプランが、形になり支持されるようになりつつある、与えられるだけの人生は無意味だ、強くそう思う、安部邦雄