金を失うと鉄になるそうだ。
だからどうしたと聞くのはやめてね。
で、忙しいとは心を亡くすことになるわけだ。
昔から忙しいなんて言葉を言う奴にろくな奴はいない。
「忙しいですか?」
「ええ、最近ちょっと忙しいですね。」
これぐらいはまだ許せる。
「悪いけどこれやってよ。」
「だめ、今忙しい。」
「じゃ、忙しくない時っていつ頃?」
「そんなこともわからなくなるほど忙しいんだ。邪魔するな。」
こんなこと言う奴は最低だ。
忙しいとは心を亡くすと書く。
本当に自分を客観的に見る目も失っている。
確かに、自分を見失っているが故に、忙しいと言って新しい業務を排除したくなるのだろうが、これを正しいと思っているから最悪なのだ。
忙しいと言ってる奴に本当に忙しい奴はいない。
忙しい人は、かえって自分を客観的に見えるのではないかと思う。
忙しい故に、仕事の段取りをできるだけシンプルにしようとする。
常に、業務のプライオリティを変え、その時に一番相応しいものを選ぶようなフレキシビリティを心の中に持っている。
だから、忙しい人は無駄なことをしない。
忙しい人は、仕事を次々に処理して行く。
よく言われていることに、仕事は忙しい人に頼めというのがある。
忙しい人は一番効率的に仕事をこなす人である。
ヒマな人に頼むと、いつまでたっても処理してくれないことがある。
勝手に、この仕事はいつごろまでにやればいいと決めつけ、一番効率的な処理の仕方等考えもしない。
マイペースと言えば聞こえはよいが、頭が堅くって、融通性のきかない人だ。
忙しい人は、常に自分の心の中にゆとりを持っている。
そうしないと自分を見失ってしまうからだ。
自分を見失えば、今、自分が優先的にしないといけない業務を判断出来なくなる。
だから、忙しい人は本当は心を亡くしてはいない。
むしろ、忙しい忙しいといって、さも自分が仕事をしているかのような主張をする人ほど、本当は心を亡くしているのである。
私は昔から、忙しいと言って仕事を断ることはできるだけしないことにしている。
よほど自分がする仕事ではないと判断しない限り、どんな要望にも応じるのが私のポリシーである。
だから、なるべく忙しいふりをしないことにしていた。
本当はやることが次から次にあっても、ばたばたしないことにしていた。
それでなかったら、面白い仕事を他人にとられかねない。
忙しくとも、余裕はありますよというポーズをよくとった。
だから、会社の上司や同僚には疎まれた。
あいつは仕事をしないヒマな奴だと思われたりした。
いつまでも会社にいて、残業稼ぎをしていると噂されたこともあるだろう。
しかし、こんなのは目のきく上司ならだれでも気づくはずだ。
仕事は結果であって、経過ではないのである。
忙しい忙しいと言っていた連中と、ヒマそうにしている私の、どっちが結果的に仕事量をこなしたか。
そんなのは、会社の上司なら当然分かっているだろうと思っていた。
しかし、これは私の幻想であった。
凡人はやはり仕事を経過でしかみない。
さぼっているように見えるのは、その現象だけで叱責の対象になった。
会社で新聞を読んでいる私を注意した上司もいた。
会社で新聞を読むとヒマそうに見える。
この職場はヒマではない。
そんな態度はやめてほしい。
新聞は家で読め。
しかし、会社は商店ではない。
顧客が次々に来るわけではない。
新聞を読んでいると客との対応がおろそかになるというのならよくわかる。
新聞を読んでいるとヒマそうに見えるから、やめてくれとは何たる言い草だろう。
ずっと席にいて、パソコン眺めていたら仕事をしているように見えてよいのか?
パソコン眺めているのが、仕事をしていることになるのか?
仕事は結果なのである。
経過なんか社内の人間にはどうでもよいことではないか。
心を亡くした社員が本当に望まれる社員なのか。
ふん、くだらない。
などと思っていたのは、10年以上も前のことだった。
経営者となった今は、さてこの考え方は本当に正しかったのか。
正しいような、でも、それだけではダメなような。
優秀な怠け者じゃあ、わからん話なのかもね。
優秀な怠け者というと「美味しんぼ」の山岡士郎なんかが典型、事務所では寝てばかりだが、味のことになると歩くレシピに早変わり、知人も多いし、知識も群を抜いている、でもダメ社員という位置付けは厳然として会社にはありそうななさそうな、安部邦雄